出雲・伊勢に行った後の変化

2015年11月伊勢神宮朔日参り40

2015年9月に出雲地方を1週間かけて旅してきて、そして2015年11月に唐突に伊勢に行きたくなって行ってきた。

出雲の旅に出る前から、もうこの人生が終わってしまうのではないのかしらん?という謎の恐怖感に包まれていたのは、事実。

旅に出る前は何故かサカナクションのGoodbyeばかり聞いていた(爆)

なんとか無事に出雲の旅から戻ってきたけれども、その後が怒涛のごとく変化していって正直、身体がもたん!という状態になっていた。

それは「怒り」を表すという力を手に入れたこと。

私はそれまで、人に対して怒るということを、極力避けていた。怒りを露わにする人々を見て、ああいう風にはなりたくないし、人格者であるのならば怒りを外に出してはいけないとは思っていた。

しかし、そんな私の態度を見て、付け込む輩も居た事も事実でございまして。

例えば、数カ月前から、週一回程度、謎の訪問者が家を訪ねてくることがあった。目に見えないものではなくて(笑)、生きている人間。名乗らずに、何の目的で私の家を訪ねてきたのかも言わずに、ただひたすらドアをノックしていた。

都会の一人暮らしでは、そういうのは相手にしないというのがセオリーなので、居留守を決めこんで無視していたけれども、訪問の頻度が多くなってきていた。

そして出雲からの旅行から帰ってきて数日、そいつはやってきた。

その日はちょっとビールを飲みすぎて酔っ払っていたこともあって、ドア越しで応対してしまった。新興宗教の勧誘?らしきものだったけれども、対応していたその最中、何かが自分の中に降りてきた感覚がしたと思ったと同時に、怒り叫んでいる自分が居た。

自分でも、自分が言っているとは思えない程の言葉が次から次へと出てくる。その豹変ぶりに相手はおののき立ち去って行った。

それ以来、そいつの訪問は、ない。

その他にも、今まで私を利用していた輩に対して、良い人づらを辞めて、きちんと自分の意見を述べて、それでも直らないような場合には、自分が迷惑をかけられて怒っているということを、キチンとアピールするようになっていた。

結果、自分の回りには良い縁だけが、残っているような状態となった。


まぁその他にもテレビを全く見なくなったとか、食べる量が格段に減ってきたとかイロイロあるけれども、これらは自分自身望んでいたことでもあったので、その願いは叶った、ということなんだろうとおぼろげながら思ったりして。

以前読んだ『霊能一代』にもこういう記述があったりする。

こういった症状に打ち勝つにためには、自分が強くなることが大切です。そうすると幻覚は逃げて行きます。

それにはまず絶食することです。すると体が軽くなり眠れるようになります。よく眠ると体が安まり、頭の中がスッキリします。テレビやビデオも断つことです。見過ぎ聞き過ぎはよくありません。毒です。こういったものを見過ぎると、目が疲れます。

目が疲れると、体のすべてが疲れます。だから目を休めて自然を見るようにしなくてはなりません。自然と一体になり、自然と語ることで、無になれます。絶食をして自然の中にいると、すべてのものが生きているのが感じられるようになります。すると精神が統一されて来ます。今の若い人は、怖いものやつまらないものを見過ぎているので、精神がバラバラになっています。

~『霊能一代』より引用

自分はまだまだ修行中なんだということを、改めて実感させられた、この数カ月の出来事なのでした。


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