最近、非常に忙しい。
忙しすぎて、ブログを書く時間と気力が無い位忙しかった(そして多分今後もしばらく続く、、、)
今日も家でゆっくりしていたかった、と言うのが正直なところだったけれども、毘沙門天様のところに行くと良いよ、というメッセージを頂き、はて?と思いながらもググってみると、神楽坂の善國寺が毘沙門天様をお祀りされている寺社だということが判明。
ならば行きましょう、神楽坂!ということで、神楽坂駅に降り立つ。
駅の近くに赤城神社という神社があったので、まずはこちらに立ち寄ってみた。
私こちらの神社はまったくもってノーマークだったんだけれども、Wikiで調べてみると
鎌倉時代の正安2年(1300年)、上野国赤城山の麓から牛込に移住した大胡彦太郎重治により、牛込早稲田の田島村に創建されたと伝わる。 寛正元年(1460年)、江戸城を築城した太田道灌により牛込台に移された。その後、弘治元年(1555年)、大胡宮内少輔により現在地に移される。江戸時代には徳川幕府によって江戸大社の一つとされ、牛込の鎮守として信仰を集めた。
『江戸名所図会』では「赤城明神社」として紹介され、大胡重泰(おおごしげやす)により創建されたこと、牛込の鎮守であり別当寺は東覚寺(天台宗)であることなどが記されている。~Wikiより引用
ということで、江戸大社の一つとされていたという、由緒正しき神社だったのだ。
手水舎
手水で清めて参道を歩くも、今日は「あかぎマルシェ」なる毎月開催の手づくり青空市場(マルシェ)が行われているということで、参道沿いには様々なお店が出店されていた。
代々木八幡宮でもたまにある、フリーマーケットみたいなもんですね。
拝殿
狛犬さんたち
とっても、独特な狛犬さんたち。
こちらの神社自体、とっても独特なんですよね。ググってみると、デザイナーズ神社とも評されているのを発見して、納得。北谷稲荷神社を彷彿とさせるようなモダンさ。
これぞ東京にある神社ってカンジですよね。
そのモダンさを一層引き立てているのが、神社境内にカフェがあるという点。
私がお伺いしたのは、開店前だったので、お店に入ることは出来なかったけれど、メニューなどを見ると結構リーズナブル。
夜に来てお茶するのも良いのかな?と思っちゃったりして。
そしてもう一つびっくりしたのが、神楽殿だと思っていた建物が、実はお社だったということ。
神楽殿(蛍雪天神)
そして社務所でご朱印を頂いて、拝殿脇にある階段を下って末社へ。
八耳神社・出世稲荷・葵神社
説明書きを読むと、
赤城出世稲荷神社
ご祭神 宇迦御霊命 保食命
創記は詳らかではありませんが、赤城神社が当地にお遷るする以前(弘治元年〔1555〕)から地主の神と尊ばれ鎮座。出世開運のご利益があるとして大名・公家の崇敬を受けておりました。
また穀物・食物を司る神様として、五穀豊穣、衣食住、商工業繁栄のご神徳を備えておいでです。現在は神楽坂商店街などの商売繁盛と近隣サラリーマンの崇敬を集めております。戦前まで5月5日の例祭日にはお神楽が奉納されていました。
八耳神社
ご祭神 上宮之厩戸豊聰八耳命(別称・聖徳太子)
戦火で焼失した昔の「太子堂」です。この八耳様は「あらゆる事を聞き分ける天の耳」を持つ聖徳太子であり、聡明な知恵を授かることができます。なにか悩み事のある時は「八耳様・八耳様・八耳様」と3回唱えてからお参りすると、自ずと良い考えが浮かぶと伝えられる。また耳の神様として広く信仰を集め、耳の病気や煩いを治してくれるとして、全国各地から参拝に訪れている。合殿に大国主大神、丹生大神、を祀ります。
葵神社
ご祭神 徳川初代将軍徳川家康公
牛込西五軒町の天台宗宝蔵院に鎮座していたが、明治元年、神仏混合を廃止された際に當境内へ遷座。徳川初代将軍として江戸時代の政治、文化の礎を築き、近代日本の発展に多大な貢献をされました。かつては江戸市民の家康公への振興の対象でしたが、現在は神楽坂の「東照宮」として親しまれ、学問と産業の祈願成就を願って、参拝する方に心の安らぎを与えてくれます。
って書かれていた。
聖徳太子という文字を見て、毘沙門天様のことを思い出した。
狐さんたち
こちらでお参りさせていただいた後、参道に戻る道すがら、近所の親子連れが楽しそうにシャボン玉を作って遊んでいた。
そのほのぼのとした光景を見て、神社に来てお参りして楽しそうな人々に囲まれるだけでも、疲れって抜けていくんだなぁ、と思ったりした。