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AmazonのKindleストアをチェックしていたら、村上龍さんの『すべての男は消耗品である。VOL.1~VOL.13: 1984年8月~2013年9月 連載30周年記念・完全版』というのを見つけて、思わずポチっと注文してしまった。
VOL.1~VOL.13全てのエッセイが入っていて、¥1,250と超お買い得価格だったので。
村上龍さんという作家は、とても大好きな作家さんだったりする。
もちろん『すべての男は消耗品である』も読んでいたけれど、以前家にある本の大処分をした際に村上龍さんの本もほとんど手放したので、このエッセイを読むのは久しぶりだったりした。
VOL.1~VOL.13全てを紙の本で購入したら、置く場所も考えなくてはいけないけれど、電子書籍はこういう時に便利だねぇーなんて思ったりして。
懐かしさにまみれながら読んでいたけれど、若いころの読感と、この歳になって読んだ印象が違って思えるのが不思議だった。
例えば、このエッセイなんかもそう。
強迫神経症的な、おばさんの定義
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日本は、どうして、おばさん的なものの考え方が、力を持つようになったのだろう。
そもそもおばさんとは何か?
(やれやれ)
おばさんは、安定している。
おばさんは、安住している。
おばさんは、安定化を図る。
おばさんは、他人に頼る。
おばさんは、平均化を好む。
おばさんは、他人の目を気にする。
おばさんは、自己主張しない。
おばさんは、不労所得が大好きだ。
おばさんは、信念がない。
おばさんは、他人のオルガスムを嫌う。
おばさんは、無限に自分に偽ることができる。
おばさんは、自分を知らない。
おばさんは、必然的に、打算的だ。
おばさんは、オシャレができない。
おばさんは、勇気がないが、持続力はある。
おばさんは、自立していない。
おばさんは、そのことに気付いていない。
おばさんは、他人の自立を邪魔しようとする。
おばさんは、いつでもどこでも大声で喋る。
おばさんは、足が遅い。
おばさんは、行列が好きだ……
当然のことだが、おばさんは、年齢や性別には関係がない。
男のおばさんが増えているのである。
~すべての男は消耗品である。VOL.2 より引用
と、これが書かれたのは1987年~1990年あたりで、日本はバブルの最中の時期だったわけで。
この時期に書かれている他のエッセイなどを読んでいると「バブルっぽいよなぁ」と感じる部分もあるけれど(e.g. 海外に行って良いホテルに泊まって、良いお酒飲んで、海外の著名人に会って etc,,,)そのバブルの最中でも、オバサン的なものの見方をする人が多いということを語っていることに、今更ながらスゴイなぁ、と思ってしまった。
2014年の今、おばさん化している人が多いように感じるのは、気のせいなのかな。
その他にも、1990年代に入る頃のエッセイには、これからは宗教の時代になる、といったことを語っていたりした(→実際その通りになっていくのが、ちょっと恐ろしいのだけれど)
全てを読むにはまだまだ時間がかかりそうだけれど、バブル前からバブル崩壊、そして失われた10年と言われる時代などの空気感がこのエッセイを読むと、ありありと伝わってくる。
そして全て真実が書かれているから、読んでいて考えさせられることも多い。
考えることがキライな人は、読んでもつまらない本だとは思うけれどね(笑)
すべての男は消耗品である。VOL.1~VOL.13: 1984年8月~2013年9月 連載30周年記念・完全版
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