自分を見つめなおす旅~永平寺に行ってきた‐その⑥一泊二日の参籠#3

永平寺参籠23

翌朝は5:30に起床&朝の坐禅はナシという案内がホワイトボードに書かれていた。

一人参籠では法話も無く、朝の坐禅もナシということで、ちょっとなぁ、、、と思ったのは事実だったけれども、その分、自分自身と対話するという時間が増えた。

5:30起床ということだったけれども、通常私の起床時間は5:00なので、通常通りに起床して、身支度を整える。5:30に係りの修行僧がお声掛けにまいりますと書かれていたけれども、特にお声掛けも無かった(爆)

6:00ちょっと前にエレベーター前に行くと誰も居なかったので、エレベーター前に陳列されていた永平寺関連の本を眺めていたら、雲水さんから声をかけられて、朝課(朝のお勤め)の為に法堂へ移動。

冬の永平寺は朝6:00でも薄暗い。この光景を見て、DVD『永平寺 「104歳の禅師」[DVD]』の中で宮崎 奕保禅師様が坐禅に向かう時の光景と同じだと、一人勝手に感動していた。

朝課にも私一人で参列なのかしらん?と思ったけども、一般の参拝客も7名程居て、その人達と一緒に移動した。後ほどこの一般の参拝客の方から聞いた話だと、事前に申し込めば朝課だけでも参列できるそうで。

法堂に到着する。

参籠客である私はちょっぴり優遇されていたみたいで、私は「キセキレイ様はこちらにお座りください」等々、固有名詞で呼ばれたけれども、他の参拝客の方は「他の皆様はー」といったカンジだった。

そしてちょっぴり優遇されていたのか、参列客の一番最初に座らせていただき、ご焼香も私から行わせていただくことが出来た。

朝課が始まる前から、正座して朝課が始まるのを待っていた。

そしてワラワラと雲水さん達や永平寺のお坊さんたちが法堂に集まってきた。一体何人いるのだろうと思った(→多分100人位)

雲水さん達が私ども一般参列者の前を過ぎる時、法衣の擦れる音が聞こえる位の静寂の中、朝課は始まった。雲水さん達の顔を見ることが憚れるように感じたので、足元を見つめていたのだけれども、こんな真冬なのに彼らは素足だったことにちょっとした衝撃を覚えたりした。

この朝課には、現永平寺貫主 福山諦法禅師様がいらっしゃった。

法堂右手後方にいらっしゃったそのお姿を見て、ありがたくなる気持ちと同時に、宮崎 奕保禅師様のお姿とオーバーラップして見ている自分が居た。福山禅師様、なんだけれども、宮崎禅師様がいらっしゃるようなカンジがした。

そのお姿を見て、涙が出そうになったけれども、ここで泣いてはいけないとググっと我慢して、朝課に参列していた。

今、私が宮崎 奕保禅師様のことを思い出す、ということは、宮崎 奕保禅師様は、本当に永平寺という場所を愛していらっしゃったのだろう、と思いながら。

昔読んだ南直哉さんの本の中にこんな記述があった。

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修行僧時代、出家してしばらくした頃、ある老僧に仕えていたことがあります。その老僧は数年前、九十歳過ぎて遷化(高僧の死去のこと)しましたが。

あるとき部屋に掃除に行き、終わって「下がらせていただきます」と頭を下げると、「おい、おまえ」「はい」「おまえは人が死んだらどこへ行くか知っているか」と唐突に老僧が訊いてきました。「そんなことは知りませんよ」と答えると、「ほう、おまえは坊主になってもう何年もなるのに、そんなこともわからんでやっとるのか」「老師はわかるんですか」「わしはわかる」と言うから、「へえ、人間歳をとると半分死んだ国に行くんですか」と軽口を叩いたら、「おまえは、そういうことを言うから修行が進まないんだ!」と滅法怒られました。

「すみません。それはぜひ聞きたい話なんで教えてください」とお願いすると、
「じゃあ教えてやろう。よく聞いてろ」
「はい」
「人が死ぬとな、」
「はい」
「その人が愛したもののところへ行く」
老師はそう言いました。

「人が人を愛したんだったら、その愛した者のところへ行く。仕事を愛したんだったら、その仕事の中に入っていくんだ。だから、人は思い出そうと意識しなくても、死んだ人のことを思い出すだろう。入っていくからだ」
さらに、
「愛することを知らない人間は気の毒だな。死んでも行き場所がない」
と続けました。

私は当時生意気でならしていた修行僧で、上の言うことなんかほとんど聞きませんでしたが、このときの老師の言葉には素直にうなずきました。その通りだと思った。「魂を育ててくれる」というのは、つまり、そういうことなんです。

~『恐山: 死者のいる場所 (新潮新書)』より引用

永平寺という場所に、今も宮崎禅師様は生きていらっしゃるのではないか、と思ったりした。そうでなければ、私が永平寺に来て、ここまで宮崎禅師様の存在を感じることはないのではないかと思いながら朝課の時間を過ごしていた。

永平寺の朝課と言うのは、とても荘厳だった。

これまで数々のお寺や神社の朝のお勤めなどの参列してきたけれども、ここまで荘厳なお勤めは見たことがなかった。この朝課に参列出来ただけでも、東京からはるばる永平寺に来てよかったと思えたりした。

そして朝課が終了し、私は部屋に戻り、朝食。

永平寺

お箸は記念にお持ち帰りくださいということだったので、ありがたく頂戴した。

そして、その後山内諸堂を雲水さんの案内で見て回ることが出来た。

これで一泊二日の参籠は終了。

ただ、山内諸堂を他の参拝客の方と一緒に回ったので、もうちょっとじっくりと見たいと思ったので、お部屋を出た後(=チェックアウト後)に、荷物を雲水さんに預かってもらって、もう一回山内諸堂を一人で回ってみることにした。

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