永平寺に行ったら、絶対にお伺いしたかった場所というのは寂光苑。
ただでさえ、参拝客が少ない真冬の時期だからか、寂光苑へ向かう道には誰も居なかった。
途中、ぷっくり可愛らしいお地蔵様がいらっしゃったので、手を合わせる。
わらべ地蔵
そして寂光苑に辿り着いた。
寂光苑
この石碑も宮崎禅師様の書ということで、この目で見ておきたかったものの一つだった。
李家幽竹さんの『改訂3版 絶対、運が良くなる旅行風水』という本には、永平寺についてこう書かれている。
心に固まっているしこりを取り、細かい悪運を消してくれる”消しゴム”のような場所。
運気と体のお掃除をしてくれます。やり直したいことがある人、ずっと心にためていたことがある人は訪れると良いでしょう。
確かに、約2年前、バスツアーで永平寺にお伺いした後、あれよあれよという間にその時働いていた会社を辞めて、人生が変わって行ったことを思い出した。
WordPressを使って、きちんとブログを書き始めたのも、永平寺にお伺いして数カ月経過した時だった。当初は一日のアクセス数なんて微々たるものだったけれども、今はおかげ様で毎日沢山の人にこのブログを見ていただいている。
ただ、今回永平寺にお伺いしたということは、また、何かを変えていかなければならないということなんだろうとは思う。
後日訪れた白山比
それが何を示しているのかは、今のところははっきりとは分からないというのが、偽らざる今の心情なんだけれども。
そして道元禅師稚髪像に差し掛かる。
道元禅師稚髪像
今道元禅師様の教えについて知りたくて、道元禅師様についての本を読み漁っているけれども、道元禅師様のエピソードを読むと、自ずと宮崎禅師様とオーバーラップすることが多い。それだけ、宮崎禅師様は道元禅師様の教えに忠実だったと改めて思い知る。
寂照の鐘
この鐘は誰でも自由に突くことが出来るので、誰も居ない中、鐘を突かせていただいた。
そして歴代住職のお墓の方へ歩みを進める。
ほとんど人が歩いた気配の無い、雪に覆われたところを歩く。
自分の身体の重さで、足跡が出来てしまうことに対して一種罪悪感のようなものを抱きながら。。。
そして舎利塔に辿り着く。
舎利塔
こちらも宮崎禅師様の書だと知り、思わず涙が滲んできた。
そして道元禅師様が祀られているという御廟へ。
御廟
こちらでも宮崎禅師様の書を発見した。
黙照天心禅師 永平奕保
と書かれている。
この黙照天心禅師というのは、禅師号と言い、もともとは天皇から賜う勅号であったけれども、宮崎禅師の時から禅師号を賜るのをやめることになったということで、禅師号を自ら決めることとなった、というエピソードを『坐禅をすれば善き人となる―永平寺宮崎奕保禅師百八歳の生涯』で読んで知っていたので、この禅師号を目にした時には、涙がとめどなく溢れてきた。
宮崎禅師の禅師号は、「黙照天心禅師」。「黙」は、黙々と坐禅をすること。「照」は。霊妙なる心の働きのこと。そして「天心」は、天の中心を意味する。つまり、ひたすらに坐禅をすることによって得られる霊妙なる心の働き、それは天の中心、大自然の真理であるという、という意味である。
~坐禅をすれば善き人となる―永平寺宮崎奕保禅師百八歳の生涯 より引用
そして、宮崎禅師様のお墓にもお参りさせていただいた。
情けないことに、この時に自分がだいぶ弱っていたこともあって、宮崎禅師様の墓前で弱音を吐いてしまい、ただ泣きじゃくるしか出来ない自分が居た。
けれども、念願だった宮崎禅師様のお墓参りをさせていただいたこともあって、大分落ち着いた気持ちになれた。
そして、永平寺に向かう。
永平寺川の流れの音が響いている。
雨が降っていたこともあるのか、とても激しい音だった。
本当に自然は立派で、そして、とても美しい。
玲瓏の滝に差し掛かる。
玲瓏の滝
今回も今の私にメッセージを下さい、と願って写真を撮ってみたら
数々のオーブらしきものが撮れた。
そして、14:00も過ぎたので、いよいよ一泊二日の参籠の為に、永平寺の門を潜った。
坐禅をすれば善き人となる―永平寺宮崎奕保禅師百八歳の生涯
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