神様や仏様に一番信頼される方法

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photo credit: DSC_2319 via photopin (license)

『空海の風景』を読み終えたので、関連の本として「『空海の風景』を旅する」という本を読んでいる。

最初は『空海の風景』のガイドブック的な本なのかしらん?と思っていたけれども、そういう本ではなかった。

讃岐、奈良、室戸、福建、長安、博多、東寺、高野山…。司馬遼太郎の最高傑作の舞台を訪ね、その思索のあとを導きとして、「人類普遍の天才」空海の現代における意味を考える。NHKスペシャル「空海の風景」として映像化した番組制作スタッフによる歴史紀行。

Amazon商品紹介より引用

番組制作スタッフが、足を運んで得た情報などがきちんと書かれていて、この本を読んでいると、ますます空海さんと言う方に魅せられていく自分に気が付いた。

そして、再び高野山という地にお伺いすることがとても楽しみになってきている。

私は、神様や仏様は信じているし、いろいろなメッセージをいただくことも多い。けれども、それで商売してはいけないとは思っている。

この本で、室戸岬についてのエピソードの一つとして、室戸岬の宿の方のことばとして書かれていたものが、非常に印象に残り、私のこの信念が間違っていないことに改めて気付くことができた。

「円海さんやったかね。その人の名は。

もともとは九州のキリスト教の高校出身で、目が悪くてな、やがては失明するとお医者さんから宣告されて、そんで祈祷してもらったところで、なぜか目が見えるようになったんですって。その人は感動して、それなら仏道に入って、そういうパワーというかね、人を治せる、奇跡がおこせる僧になりたいと願って高野山大学に入ったそうです。

でも大学は出たけれども、そういうパワーは全然いただくことができなくって、それで弘法大師が修行なさったように、ここに来て一年半ぐらいおったかな。ボロのキャンプを張っていたんだけれど。親御さんが心配してお金を持ってきても受け付けないで追い返してしまう。行き倒れのような乞食遍路に会うと、円海さんがそんな人を食堂に連れてゆく。食堂のおばちゃんが言うには、すみませんがこの人らの注文するもの何でも食べさせてやってくれませんかって言って、自分で払って食べさせてあげる。あんなことは普通の人ができるもんやないわねえって言うてました。

ほんで、そのころちょうど『空海祭』というのが始まってね。祭のときはお坊さんの列がありますわね、みんな本山やら偉い寺から来ているからもう錦のすばらしい衣装を着ている中で、円海さんだけが、いちばん最後に僕も加わらせてください、言うて、列に入ったのはいいけど、汚い(笑)。みんな笑うほどの茶色かね、黄土色かね、そういう汚い身なりでその行進についていったんです。

私らもその時は、ひとりだけあれやねえ、みすぼらしいねえ、と言うて見ていたんだけど、なんかその姿に妙に感動するというかねえ。なんか私は、もし弘法さんがおったとしたら、生きとったとしたら、こういう人やないかなあと思うてた」

円海さんは、その後、跡取りのいない寺の養子になって住職になられたという。それまで彼の修行は続けられた。昼間は観光客や他のお遍路の邪魔になっては申し訳ないと遠慮して、夜、あたりが暗くなってから「神明窟」で座禅を組み続けていたらしい。

話には、彼がここを去ることになったときの続きがある。

「私らが夜中にたまたま、月を見に散歩していた時のこと。真っ暗闇の洞窟の中でこうジーッと、本当に本当に真面目に座禅を組んでおったんです。朝、明けの明星見に行った時も、白々としてくる明け方まで、ずうっといつから座り続けているか知らんけれど、ちゃんと座禅組んで、修行しよったけんね。凛としてね。

多分うんと正直な人やと思う。僕はこれだけ修行したからこんな奇跡があった、能力を授かったと言うことがなくてね。僕はこんなに修行をしたけれども、そういう力はいただけなかった、言うてました。

正直な人やと思う。その言葉でね、あ、この人は信用できるなあ、と思いましたけどね」

神社仏閣に行くと、いろいろな人にお目にかかる。

私が一番嫌いなのは、スピリチュアルにかぶれている人々や霊能者まがいの人々。

何故かこういう人々は、昼間の一般の人々が多い時間にやってきて、集団でお社に手をかざしたり、パワーを感じると言って木に抱き付いたりしている。

けれども、そういう人って決して本物ではない。

本物こそ、人に見えないところで、神様や仏様とコンタクトしている。

神様や仏様も真昼間の人の多い時間帯には、あまり呼び出しはされないみたいですしね。。。

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昔行った、とある神社で興味深い話を聞いた。

本当に神様に選ばれてしまうと、とてもじゃないけれども日常の生活などは出来ないと。

夜中に「今から二見ヶ浦に来い」と言われて、遠路はるばる関東から二見ヶ浦に車を飛ばして行った人のエピソードや、真夜中に滝に打たれてこいと言われた人の話など。。。

それこそ傍から見たら「精神がおかしくなってしまっているんではないか」と思われるようなことを、彼女たちは乗り越えていかなければならない。

そういう人達は、決してスピ商売などはしていない。

というか、出来ない。

神様や仏様に一番信頼されるということは、結局何事に対しても、全てに於いて、正直でなければならないから。

『空海の風景』を旅する (中公文庫)
NHK取材班
中央公論新社
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