今更ながら~『嫌われる勇気』を読んでみた

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photo credit: exo_duz via photopin cc

普段、極力テレビを見ないようにしているけれど、Tokyo MXテレビで平日17:00から放送している「5時に夢中」という番組は良く見ている。特に作家の岩井志麻子さんと新潮社の編集者の中瀬ゆかりさんがコメンテーターをされている木曜日が大好き(笑)

月末に中瀬ゆかりさんの「中瀬親方のエンタメ番付」というコーナーがあるのだけれど、今年の2月のエンタメ番付で紹介されていたのが、この『嫌われる勇気』だった。

中瀬親方のエンタメ番付 2014年2月27日編

中瀬親方も「自己啓発本なんて、と思いながらも読んだけれど、思いのほか良かった本だった」と勧められていたので、読んでみたいなぁ、と思っていた。

けれども、この本についてネットで調べたら、『嫌われる勇気』の著者の一人である哲学者・岸見一郎氏と、私があまり好きではない安藤美冬という人の対談を見て、購買意欲を失った(笑)安藤美冬というヒトが絡むと、どうしても胡散臭く見えてしまうのよねん。。。

それから数か月経過した昨日、フト読みたくなってKindle版で手に入れた。

第一夜から第五夜まで、哲学者と悩み多き青年との対話という形で話が進んでいくので、最初から最後まで読んでいかないと、納得できない部分が多々あると思うけれど、自分用メモとしてセンテンスを幾つかピックアップ。

第一夜 トラウマを否定せよ

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photo credit: Cross Duck via photopin cc

お花畑系のスピリチュアルな本を読んでいると、よく「過去のトラウマを癒さないでいると、その傷が潜在意識に深く刻み込まれて、不幸になる」等々、原因があって、それによって今の自分の不幸な状態が作り出されている、といった観点から書かれているものを目にする。

けれども、この本では、その「トラウマ」というもの自体が、バッサリと否定されていた。

アドラー心理学では、トラウマを明確に否定します。ここは非常に新しく、画期的なところです。たしかにフロイト的なトラウマの議論は、興味深いものでしょう。心に負った傷(トラウマ)が、現在の不幸を引き起こしていると考える。人生を大きな「物語」としてとらえたとき、その因果律のわかりやすさ、ドラマチックな展開には心をとらえて放さない魅力があります。

しかしアドラーはトラウマの議論を否定するなかで、こう語っています。「いかなる経験も、それ自体では成功の原因でも失敗の原因でもない。われわれは自分の経験によるショックーーいわゆるトラウマーーに苦しむのではなく、経験の中から目的にかなうものを見つけ出す。自分の経験によって決定されるのではなく、経験に与える意味によって自らを決定するのである」と。

原因論に立脚する人々、たとえば一般的なカウンセラーや精神科医は、ただ「あなたが苦しんでいるのは、過去のここに原因がある」と指摘するだけ、また「だからあなたは悪くないのだ」と慰めるだけで終わってしまいます。いわゆるトラウマの議論などは、原因論の典型です。

アドラーの目的論は「これまでの人生になにがあったとしても、今後の人生をどう生きるかについてはなんの影響もない」といっているのです。自分の人生を決めるのは、「いま、ここ」に生きるあなたなのだ、と。

第二夜 すべての悩みは対人関係

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第二夜はいきなり「なぜ自分のことが嫌いなのか」というタイトルから始まっている。

スピ系も「自分を愛してあげましょう」「自分のいいところをほめましょう」「自分を大事にすることで、自分自身を十分に癒しているから、まわりの人にも優しくなれる」等々のことが書かれていて、自分のことが好きになるアファメーションなんかが載っていたりする。

けれども、そんなことで自分を好きになれた試しはない。少なくとも私は。けれどもこの章を読んで、自分が嫌いという理由に潜んでいる部分を知ることになった。

あなたは他者から否定されることを怖れている。誰かから小馬鹿にされ、拒絶され、心に深い傷を負うことを怖れている。そんな事態に巻き込まれるくらいなら、最初から誰とも関わりを持たないほうがましだと思っている。つまり、あなたの「目的」は、「他者との関係のなかで傷つかないこと」なのです。

哲人は語る。あなたは対人関係を怖れるあまり、自分のことを嫌いになっていたのだ。自分を嫌うことで対人関係を避けていたのだ。その指摘は青年を大いに動揺させた。認めざるをえない、心臓を射抜くような言葉だった。

第三夜 他者の課題を切り捨てる

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photo credit: davedehetre via photopin cc

いよいよこの第三夜になってきて、嫌われる勇気というタイトルに関する青年と哲人の対話に入ってくる。

『嫌われる勇気』って、結局「人の目なんか気にしないで、やりたいようにやろうよ!」ってメッセージ性の大きいの本なのかしらん?と読むまでは思っていたけれど、そんな単純な本ではないことに気付いた。

たとえば、「神が見ているから、善行を積む」と考える。しかしそれは「神など存在しないのだから、すべての悪行は許される」というニヒリズムと背中合わせの思想です。われわれは、たとえ神が存在しなかったとしても、たとえ神からの承認が得られなかったとしても、この生を生きていかねばなりません。むしろ神なきニヒリズムを克服するためにこそ、他者からの承認を否定する必要があるのです。

他者から承認してもらうおうとするとき、ほほすべての人は「他者の期待を満たすこと」をその手段とします。適切な行動をとったらほめてもらえる、という賞罰教育の流れに沿って。しかし、たとえば仕事の主眼が「他者の期待を満たすこと」になってしまったら、その仕事は相当に苦しいものになるでしょう。なぜなら、いつも他者の視線を気にして、他者からの評価に怯え、自分が「わたし」であることを抑えているわけですから。

 およそあらゆる対人関係のトラブルは、他者の課題に土足で踏み込むことーーあるいは自分の課題に土足で踏み込まれることーーによって引き起こされます。課題の分離ができるだけで、対人関係は激変するでしょう。

誰の課題かを見分ける方法はシンプルです。「その選択によってもたらされる結果を最終的に引き受けるのは誰か?」を考えて下さい。

自分を変えることができるのは、自分しかいません。

 他者の期待を満たすように生きること、そして自分の人生を他人任せにすること。これは、自分に嘘をつき、周囲の人々に対しても嘘をつき続ける生き方なのです。

自由とは、他者から嫌われることである。

まとめ

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この哲人と青年の対話は、第四夜の 世界の中心はどこにあるか、と、第五夜の 「いま、ここ」を真剣に生きる、と続いていきます。

哲人と青年との対話という物語という形式をとっているので、アドラー心理学の入門書を読むよりも、すんなりと頭に入りやすかったです。

こういった考え方もあるんだな、と、今まで常識だと思っていたトラウマの呪縛から、ちょっとだけ自由になれたような気がしました。

結局答えは自分で見つけるしかないんですよね。

嫌われる勇気―――自己啓発の源流「アドラー」の教え

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