その後よくわからないまま帯解寺へ。
安産祈願、子授けのお寺として有名らしいデス。
もしかして、ここって『見仏記』に出てきたお寺じゃないですか!と
気がついてミーハー心を炸裂させた(笑)
次に大和神社へ。
祭神は倭大国魂神(やまとのおおくにたまのかみ)との事で
Wikiで大和神社を調べたら
『日本書紀』によれば、元々倭(日本)大国魂神は天照大神とともに大殿に祀られていたが、世の中が乱れ謀反を起こすなどするのは、両神の勢いだと畏れられた。そのため崇神天皇6年、倭大国魂神を皇女渟名城入姫を斎主として祀らせたが、淳名城入姫は髪が落ち体は痩せて祭祀を続けることができなくなった。崇神天皇7年、倭迹迹日百襲媛命が夢で「市磯長尾市をもって、倭大国魂神を祭る主とせば、必ず天下太平ぎなむ」との神託を受けた。また同年11月にも同じようなことが起こり、大倭直の祖・市磯長尾市(いちしのながおち)を祭主として、神地が定められ鎮座・創建された。
この伝承からアマテラスを天神とし、ヤマトノオホクニタマを地祇とする性格をはっきりさせたことが読み取れる。垂仁紀はもっと詳細に出ている。当初の鎮座地は、現在の鎮座地の東方の山麓大市の長岡崎(現在の桜井市穴師および箸中の付近)であるとみられ、後に現在地に遷座したとされるが、遷座の時期ははっきりしない。一説には現在の長岳寺の位置であるという。長岡崎が長岳寺付近の丘陵を指す可能性もある。
との事。
手水舎のところで発見。
この頃、ちょうど伊勢に行ったのが7回目だったので
ちょっとびっくりしたのと同時に
熊野にも行かなくちゃいけないんだよねーと思った。
大和神社は戦艦大和ゆかりの神社とのことで
戦艦大和の長さは神社の参道の長さとほぼ同じと神職の方から伺った。