円覚寺から歩く事数分で東慶寺に到着した。
山門の石段の右下には夏目漱石参禅百年記念碑というものがあった。
そして石段を登り、山門に到着。
東慶寺は駆込み寺だったとして有名なところで、
弘安8年(1285)、北条時宗夫人の覚山志道尼が開創。女性の側から離婚できなかった封建時代、当寺に駆込めば離縁できる女人救済の寺として、明治に至るまでの約600年間、縁切寺法を守ってきました。
明治4年(1871)廃仏毀釈によりこの寺法は廃止となり、明治35年(1902)尼寺としての歴史に幕を閉じました。現在は臨済宗円覚寺派の男僧寺です。
~東慶寺リーフレットより引用
山門を潜ると、どことなくふんわりとした空気を感じた。
そして境内を歩いていると、とても優しい雰囲気に満ちていて、禅寺なのだけれども厳しさというものよりはたおやかなものを感じる。
そして本堂にお邪魔する。
お堂の中には白い衣を纏った釈迦如来坐像の姿が見えて、こちらにお招きいただいたことに感謝してお参りさせていただくと、その慈しみのお力の凄さにしばし佇んでしまっている自分が居た。
この場所を離れたくないような、そんな感覚。
女の人ならばこの感覚に共感してくれる人も多いのではないかと思ってしまった。
現代は先人の努力のおかげで女性だからといって不利な状況に追いやられることは、縁切り寺に多くの女性が駆込んでいた時代とは違って少なくなってきた。
けれどもやはり今の世の中に於いても、女であるが故の悩みというのも尽きないものだったりする。
それも各々に課せられた修行と言ってしまえばそれまでなのだけれども
けれども、こちらにはそんな女性ならではの悩みや苦しみを打ち消してくれるような、圧倒的な優しさに包まれているような気がした。
そして墓苑の方へと歩みを進める。
木々が茂り、日中でも薄暗さを感じさせるような道を歩いていく。
そんな薄暗さの中で感じる太陽の光と言うものは、とても美しい。
そして後醍醐天皇皇女、用堂女王の御墓に辿り着いた。
用堂尼墓の一種独特のその雰囲気に圧倒される。
そして用堂尼墓の隣には北条時宗夫人の覚山尼墓がある。
私の勉強不足でこちらにお伺いした際には気付かなかったのだけれども、こちらの墓苑には鈴木大拙氏や和辻哲郎氏、そして小林秀雄氏などの御墓があるということだった。
山門が近づいてきて、こちらのお寺ともお別れの時がやってきた。
今度は人のあまり居ない時期にじっくりとお伺いしたいものだと心の中で願いながら、東慶寺を後にした。