興聖寺から歩くこと数分で宇治神社に到着した。
宇治神社
鳥居の右横には兎楽の樹という大きな木があった。
兎楽の樹
河内の国から来られる菟道稚郎子(うじのわきのいらつこのみこと)皇子を、兎が先導し、振り返りながらお連れした場所がこの宇治神社です。
その兎達が、今も楽しく集い戯れる宇治神社を象徴する樹が、この楠の樹です。
ほら、楠の足下に楽しそうな兎達が見えるでしょう。
と案内版には書かれていた。
残念ながら私にはウサギさんたちは見えなかったので、代わりに狛犬さんたちにご挨拶させていただく。
そして拝殿へと続く石段を登っていくと途中に手水があった。
手水の脇に鏡が置かれているという珍しいところ。
手水で清めると同時に、己の身だしなみも整えろってことなのかしらん?と思いつつ、手水で清めようと近づくと
ウサギさんの口からお水が出ていました。
そして石段を登り切ると見えたのが拝殿。
拝殿
そのまま真っ直ぐ進んでいくと、再び鳥居が見えた。
こちらの狛犬さん達にもご挨拶させていただいて
鳥居を潜ると本殿が見えた。
本殿
こちらにお招き頂いたことに感謝してお参りさせていただく。
そして境内を散策しようと思ったけれども、団体さんがワラワラと押し寄せてきたので、境内散策は断念した。
まぁ時間帯が午後だったということもあるので、仕方がないかと思いつつ、次に目指したのは宇治上神社。
宇治上神社
宇治上神社は世界遺産に登録されている場所ということで、平等院と同じく外国人観光客の姿を多く目にしたところだった。
宇治上神社は世界遺産の登録によってその存在は広く注目されることとなったが、それ以前は地元宇治と建築史の専門分野の限られた人々にだけ知られた存在であった。そのことは『図会』が出版された江戸時代にもみてとれる。
宇治上神社は近くの宇治神社とともに当時は「離宮八幡」と称され、離宮八幡として興聖寺・恵心院とともに鳥瞰図によって描かれている。
慶安元年(1648)に淀城主永井尚政によって創建された曹洞宗興聖寺が画面一杯に描かれ、離宮八幡は画面左端にその存在がみられる程度で、注目すべき名所とはなっていない。
~『大学的京都ガイド―こだわりの歩き方』より引用
という風に書かれていたガイドブックもあったよなぁと思いつつ、境内にお邪魔する。
拝殿
そして拝殿前には円錐形の清の砂があり、上賀茂神社の立砂と同じように神様が降臨する場所なのかしらん?などと思ったけれども、宇治上神社に置かれていた案内のちらしをみたら、境内地のお清めの為の砂であり、神様が降りられる依代を表している訳ではないと書かれていた。
そして手水ということで、宇治七名水の内、唯一現存している桐原水で清めさせていただいた。
桐原水
そして本殿に到着。
本殿
すごく珍しいお社だなぁと思いつつ、狛犬さん達にご挨拶させていただき
こちらにお招きいただいたことに感謝してお参りさせていただいた。
そして本殿近くに御鎮座されている摂社・末社にもお参りさせていただく。
香椎社
住吉社
春日神社
厳島社
そして宇治上神社で不思議な空間だなぁと思ったのは、この一帯だった。
何と言えば良いのかわからないけれども、本当に独特の空気感だった。
こちら方面までは観光客も全く来なかったので、それも一種独特の空気を生み出しているのだろうとは思ったけれども。。。
そして拝殿前まで戻り、社務所で御朱印を頂戴した。
宇治上神社については、旅の事前準備でネットで情報を調べていた際に、参拝マナーについての紙を配布している神社だと言う事を知った。
そのマナーについての内容というのが
「ここは神社です。皆様が心を静めてお参りをされる場所です。テーマパークでもファミリーレストランでもありません。サービス業ではないのです。『お客様は神様』の自論は通用しません。本当の神様は目の前においでです。
当然、不敬な行動は叱ります。親御さんがお子様をしっかり御監督なさって下さい。お子様を叱るのは、親の責任ですし、親が不行き届きで、周りの人に叱っていただいたなら、逆切れではなく、『ありがとうございます』です。
自分本位な考えの大人になられないように、正しい教育で共にお子様の健やかなる成長を見守りましょう」
~デイリーニュースオンライン より引用
と言うものだった。
けれども今回宇治上神社にお伺いした際には、マナーについて書かれた紙は置かれていなかった。
代わりに「神社雑学クイズ」や「宇治上神社の不思議」という内容の紙が置かれていたのを見て、こういうスタイルで情報発信している神社というのも珍しいな、と思った。
そして宇治上神社を後にして、本日の参拝は終了。
最後に宇治でまったりしようと思って入ったカフェで20分待ちと言われたので、諦めてそそくさと京都駅に戻って行った。
結局私の旅って、ほっこりまったりの女子旅とは縁遠いなぁとつくづく思いながら(笑)