由岐神社を後にして、歩いて鞍馬寺を目指す。
この道は九十九折りの参道と呼ばれていて、清少納言等も歩いた道と云われている。
由岐神社を後にすると、すぐに川上地蔵堂が目に入る。
川上地蔵堂


こちらでも今回お招きいただいたことに感謝してお参りさせていただいた。
こちらのお堂の近くには、義経公供養塔。
義経公供養塔


由岐神社までは参拝客の姿を多く目にしたのだけれども、由岐神社から先では余り人に合わないような格好となっていた。

前回鞍馬山にお伺いした際に目にした時は、スピっぽいなぁという感想しか持てなかった案内板を見る。
しかし今回これを見たら、ここに書かれていることが、本当のことだと思えて仕方がなかった。

愛と光と力の像「いのち」



この像を見ていたら、それこそ祈りというものの力強さを感じることが出来た。
そして双福苑に差し掛かる。
双福苑

玉杉大黒天

玉杉恵比寿尊


こちらにお招きいただいたことに感謝してお参りさせていただいた。



本当に、誰も、居ない。

その静けさの中を歩いていると、いろいろな思いが浮かんできた。






そして、雨模様だったせいかも知れないけれども、参道を歩いているととても美しいものを感じてしまった。
雨という天の恵みを受けて、それこそ樹々などが喜んでいるようなカンジがしてしまって。。。
そして中門に差し掛かる。
中門



ただ、ひたすら歩く。
歩くと言っても、登山とは違って整備された道を歩くので、さほど苦にはならないのだけれども、やはり自分の足を使って自ら歩いていくということが、とても重要なのではないかと思ってしまった。




貞明皇后後休息所蹟







一人、誰も居ないところを歩いていると、やはり対話するのは己自身しか居ないということで、様々なことが脳裏を横切る。
こういう時間は、本当に必要だと改めて感じてしまった。
福寿星神



前回鞍馬寺にお伺いした際にいただいた本には、こういった記述があった。
鞍馬の山に詣でるとき、全山に満ち満ちている尊天の霊氣にふれ、それぞれに尊天の御心へと導かれてゆきます。九十九折りの参道を歩きながら懺悔の心をおこし、清浄水を汲んで心身を洗い清め、また鳥の声を聴いて心の安らぎを得、燃ゆる灯に活力を頂き、緑の樹々の香りに生氣甦り、同信の人とのふれあいに結縁の有難さを知る……。
今まで感じたことのなかった暖かいものが心の底から湧き上がり、清々しい歓びの真のめざめを味わい、すべてを活かしたもう宇宙の大霊ー尊天に、心からなる感謝の祈りを捧げたてまつります。
鞍馬の山は、尊天の氣が満ちている聖域なのです。
~『鞍馬山の教えとこころ』より引用


この本に書かれていた記述通りに、鞍馬寺に近づくにつれ、それこそ生まれ変わったような気分になっている自分がいた。