学生社の日本の神社シリーズという本がある。
この神社シリーズは昭和50年前後に刊行された古書ということで、手に入れることがなかなか難しいので全部は読めていないのだけれども、出雲大社や諏訪大社などと言った有名神社の、当時の宮司様が書かれているものなので、とても詳しい情報が書かれている超良書であると断言できる。
その日本の神社シリーズの中に『大神神社』という本がある。
今回、こちらを読む機会に恵まれた。
私は大神神社には数度訪れる機会を頂戴したけれども、参拝する度に印象が違って感じられる、とても不思議なところだと言うのが素直な感想だったりする。
私が大神神社と言って思い出すのは、やはり三島由紀夫のことだけれども、その三島由紀夫に関しても大神神社(というよりも三輪山か)で不敬を働いたから、ああいった末期になってしまったのだと都市伝説のように囁かれている場所だったりする。
それだけ、厳しい場所であるとも言える。
そして、この本を読んでいたら、単純にパワースポット♪なんて軽い言葉で言えない場所だということがありありと分かった訳でして。。。
この本の中で、香椎宮との関連も描かれていたことに、ちょっと驚きを隠せなかった。
私は2014年2月に香椎宮にお伺いして、香椎宮のすごさに驚きを隠せず、思わず長々とブログに書いてしまった訳だけれども、その時、素直な感想として香椎宮にある綾杉について、
これを見た途端、しばし動けなくなる。今まで色々なご神木を見て来たけれど、ここまで「聖」を感じたご神木は無い。
と書いてしまった位だった。
そしてこの香椎宮の綾杉が大神神社に関連しているかも知れないということをこの本で知る由となった訳でして、、、
また本社から南に綾椙の社が描かれている。
三輪の巨大な七本杉の一つにも数えられていたが、詳細な説明の欠けているのが惜しまれる。
というのは神功皇后の三韓遠征に当り軍平の集まりが思わしくなく、三輪の神を筑紫に勧請になり(現在福岡県朝倉郡三輪町大己貴神社)祭られたところ、たちまち軍平が聚まったとあるが(『日本書紀』)、綾椙の枝を皇后自ら箙(えびら)に差して渡海、帰還のとき、その綾椙を大地に差しもどされたのが、現、香椎宮楼門前の綾椙の老木という一連の由緒と関係するかもしれない。
しいていえば、三輪から移されてた綾椙の社の小枝が、筑紫の香椎の神域に栄える姿でないかとさえ思いたくなるのである。
~『大神神社』より引用
↓これは香椎宮の綾杉です
そして、大神神社で杉と言えば、有名なのは巳の神杉。
メディアでは良くパワースポットと紹介されているところで、この前で記念写真を撮ると金運がアップするなんてまことしやかに言われている場所でもあるけれども、この本の中で、衝撃的なことが書かれていた。
ただ、三輪の巳の神杉に関するかぎり、めずらしいから写真に撮って他人にも見せてやろう、巳さんのお姿を撮って神棚に上げようとすることは、避けられた方が良いと申し上げておく。
あえて撮りたい人には禁じているわけではないので自由であるが、この頃のようにカメラを持った人が多くなると、知らずにほんとに素直な気持ちから撮影されては気の毒だと案ずるだけである。
というのは当社の賽銭箱には、白紙に包まれた巳さんの写真が、何枚といわば還納されてくる。
また、巳さんの入ったフィルムが戻ってくることもある。買ってまだ新しいカメラそのものまでが、フィルムとともに納められていたこともある。
調べてみると、いずれもきまったように家庭が乱されている。夫婦間の不和、家族に病人、死人が出たなどと訴えられる。
このようなしだいであるが、ここには統計的に表れた実態を正直に申し上げるだけに止めよう。
~『大神神社』より引用
これは、昭和46年に初版が刊行された書物だ。
もう40年以上もの時を経ている。
だからと言って、その内容が間違っているという事は決してなく、むしろ現代に流布している大神神社の情報こそ、間違っているのではないかと思えて仕方がなかった。
大神神社<第三版>
学生社
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