諏訪大社上社本宮から諏訪大社上社前宮に向かうバスの車中、乗客から「虹が出ている~」との声が上がったので、車窓から外を眺めると、本当に虹が出ていた。
この日のお天気は雨の予報だった。
空模様と言えば、晴れたり曇ったり、途中で雨がパラついたりしたけれども、幸いお参りの最中には傘の必要は無く、そして諏訪大社上社前宮にお伺いする途中で、虹が見られたと言うのは、吉兆の予感しかなかった。
数分で、諏訪大社上社前宮の駐車場に到着。そしてこちらでの散策時間はこれまた40分いうことだった。
諏訪大社上社前宮
関連する施設の散在する扇状地の一帯を神原(ごうばら)といい、諏訪大神が最初に居を構えたところと伝えられているところ。
それが諏訪大社上社前宮なのだ。
鳥居を潜り
坂道を登っていくような格好で歩みを進める。
手水舎
手水で清めた後に、社務所にお伺いして御朱印帳を預かって頂き、そして社務所近くに御鎮座されている若御子社にお参りさせていただく。
若御子社
そして狛犬さん達にご挨拶して
これまた鳥居を潜ると
左手前方に長方形の吹き抜きの建物が見えた。
十間廊
こちらの前に立つと、非常に祈りの力と言うものを感じることが出来た。
諏訪大社は本当に不思議なところで、他の神社では見られないような祭事が多い。
こちらの十間廊は、昔は鹿の頭75頭が神饌として献じられていたということだけれども、これも都市伝説的に語られている、イサク奉献伝承と言われるものを考えると、納得できる部分もあったりする。
まあ、そういうのがお好きな方には、諏訪大社というのは、たまらない不思議な魅力に満ち溢れている場所なんだろうと思ったりした。
そして、十間廊に対面して右手にあるのが、内御玉殿。
内御玉殿
神原の中心をなすお社で、古くは神宝、真澄の鏡、八栄の鈴等を納め、人々に拝閲させて、その神威を示したと言われているというところだそうで。
そしてそのまま坂道を登っていくような格好で歩いて行くと、道の分岐点と言うような場所に独特の祠を発見した。
御室社
実はこちらの祠が、私は前宮で一番気になった場所だった。
このミシヤグジ神について調べると
諏訪地方では特に諏訪の蛇神であるソソウ神と習合されたためか白蛇の姿をしているともいわれており、建御名方神や洩矢神(モレヤ神)と同一視されることもある。
諏訪地方に於いては太古の昔からのミシャグジ信仰に後から来た建御名方神が習合、同一視されるに到ったともいわれるが、元々諏訪地方の土着神だったミシャグジ神が記紀神話に取り入れられて建御名方神になったという説もある。
~Wikiより引用
と言うようなものを発見した。
なんとなく、なんだけれども、大神神社の巳の神杉と同じような印象を受けた。
白蛇さんのエネルギーと言うのでしょうか。。。
そしてテクテク歩いてくと、前宮の拝殿が見えた。
諏訪大社上社前宮 拝殿
こちらにお招きいただいたことに感謝してお参りさせていただく。
そして拝殿を取り囲むようにして配置されている御柱にお参りさせていただいた。
前宮 一の御柱
前宮 四の御柱
前宮 三の御柱
前宮 二の御柱
諏訪大社上社前宮では、他の諏訪大社では近づくことの出来ない四の御柱と三の御柱に間近に近づくことが出来る。
ただ、やはり何となく、触れてはいけないような気がしたので、御柱に触るということは止めておいた。
前宮周辺にも、清浄な小川が流れていて
やはりこちらは山の神様と水の神様が融合されている土地だなぁと思いながら歩く。
名水 「水眼」の清流
そして坂を下るような格好で、鳥居の方へと戻って行った。
社務所に御朱印帳をピックアップしようと思ったら、バスツアーの皆様で大挙押しかけたような格好になってしまったので、小さなお社の社務所前は大混雑だった。
私もこの混雑の中、御朱印が書き上がるまでしばし待って、番号札と御朱印帳を引き替えると、諏訪大社4社全ての御朱印を頂戴した場合にいただけるという参拝の記念品も頂戴することが出来た。
そして駐車場に戻ろうとしたら、道すがら、小さな祠が祀られていることに気付く。
溝上社
祭神は高志奴奈河比賣命といわれ御射山へ出発する際にまず参詣された社であった
と書かれていた。
物事の始まりの神様なんだろうなぁ、とおぼろげに想いながら、こちらにお招きいただいた事に感謝してお参りさせていただいた。
そしてバスに戻り、諏訪大社4社まいりは終了。
4社参りをすると、それぞれのお社の御神徳を一挙に受けることができると言われている。
- 上社前宮には行動力や物事の活性運。
- 上社本宮には安定や平穏の運気。
- 下社春宮には安定運、安泰運。
- 下社秋宮には成長や育成、発展の運気。
そして、これらのお宮にお参りさせていただいたことで、私も俄然やる気が出てきたというのが偽らざる心情であり、それこそ、諏訪大神様の御神徳ではないけれども、一度や二度の失敗に屈してはならないといいこと。その何度でもチャレンジするという態度こそが重要であるということをお教えいただけた。
決して自身を卑下してはならないということを。