御本殿方面に戻り、春日大社には何度かお伺いしているけれども、いつもお伺い出来なかった場所へと向かった。
途中竃殿や
竃殿
酒殿などがあった。
酒殿
そして、遣唐使 阿倍仲麻呂の歌碑もあったりして、はて?と思って見てみたら
遣唐留学生に選ばれた阿倍仲麻呂公(数え年十七歳)と吉備真備公(二十歳 晩年右大臣)たちは、ここ春日の神地で壮行神事を受けて出発、課程履修後は仲麻呂公のみ乞われて唐朝廷入り、要職を歴任したのでした。
三十三歳時の帰国願いは玄宗皇帝に許されず、五十三歳の時ようやく一時帰国を認められ、蘇州出向前夜停泊中の船内で読んだのがこの詩です。喜びに満ち溢れています。
ところが乗船は難破して安南(ベトナム)に漂着。辛うじて唐首都長安(西安市)に戻ってきたものの、遂に帰国の夢むなしく七十歳で亡くなりました。この歌は故国日本をしのびつづけた悲しみの歌になってしまいました。
と書かれていた。
この前に立ってこの石碑に書かれた歌を見ると、春日大社という場所の聖地感を改めて認識することが出来た。
天の原 ふりさけ見れば 春日なる 御蓋の山に いでし月かも
とても、美しい歌だ。
雨が激しく降ってきた。
そしてそれに伴うように、周りには観光客の姿も消えていた。
一人、歩く。
そして、四脚門を通り過ぎると、神社が見えた。
四脚門
春日大社 末社 総宮神社
平安時代初期に興福寺境内に創建され、明治以降に興福寺境内から移されてきた神社ということ。
こちらにお招き頂いたことに感謝してお参りさせていただく。
そして、こちらのお隣には一言主大神様が御鎮座されている一言主神社。
春日大社 末社 一言主神社
昨日葛城一言主神社にお伺いしたばかりだけれども、こちらでも一言主大神様にお招きいただいたことに感謝してお参りさせていただいた。
雨が激しかったせいか、誰も居ない中を歩く。
これこそ私が求めていた春日大社の雰囲気だ~と嬉しくなりながら歩いた。
そして、いつかお伺いしたいと思っていた水谷神社に到着した。
春日大社 摂社 水谷神社
こちらにお招き頂いたことに感謝してお参りさせていただく。
今回初めてお伺いしたのだけれども、今回お伺いした春日大社のお社の中では、一番お力を感じた神社だった。
誰も居なかった、ということも大きな要因なのだとは思うけれども、それだけでは無い、とても大きなものを感じた。
御本殿から水谷神社に通じる道は水谷道と言い、東大寺二月堂、若草山 手向山へ向かう古くからの南都の巡礼道でもあったと案内が出ていた。
この道を歩けたことが、今回春日大社に呼ばれた意味だったのだろうと、おぼろげながら思った。
とても美しい風景。
私が知らなかった春日大社の魅力を、また一つ、神様からお教えいただけたような気分になり、嬉しい気持ちで春日大社を後にすることが出来た。
そして奈良駅まで戻って、エアポートリムジンバスに乗って伊丹空港まで。
そして快適なANAに搭乗して、東京に戻り、この旅は終了。
今回は3泊4日の旅だったけれども、日程以上にイロイロとあった旅だったなぁ、と感慨に耽りながら。