小教院を後にして、向かった先は遠宮。
途中えんむすびの木もあるけれども、若い女子が群がっていたのでスルーした。
遠宮にも人が沢山居るのかと思いきや、誰も居なかったので内心ラッキーだと思った。
三峯神社に来たら、遠宮に来なければ意味は無いと、個人的には思っている。
ほぼ三カ月ぶりになってしまったことを詫びつつ、こちらにお招きいただいたことに感謝してお参りさせていただいた。
狼さん達にもご挨拶。
誰も来る気配が無かったので、いろいろとお話させていただく。
自分の近況とか、そんなこと。
神様や仏様は真摯な気持ちがあれば、必ず耳を貸してくれている。
そんなことを、お参りさせていただいた間に感じた暖かい空気感に包まれながら思ったりした。
そして、近宮に移動。
こちらでもお招きいただいたことに感謝してお参りさせていただく。
お参りする人が少ないせいもあってか、とてもお喜びいただけた(ように感じた)
そしてお参りを済ませて、興
持参した本を読んでいたのだけれども、こういう静かな場所で本を読むと、本から伝わるメッセージがダイレクトに自分の中に響いてくる。
最近、どうでもいいことに苛まれていることは自分自身でも分かっていた。
けれども今回何気なく持参した本の中に、その「どうでもいいこと」を解決するヒントが見つかったような気分になった。
スマナサーラ:昔の話ですけれど、ある高校生くらいの男の子が、子供が子供を殺した事件にふれて、「もしかすると、ぼくも人を殺すかもしれない」と言って、当然のことながら、親がものすごくびっくりしたことがあります。
それでいろいろな友だちに相談に行ったら、ある一人が私のことを知っていて、「こういう人がいますから、会ってみたらどうですか」と言ったのだそうです。
私は時間が無かったので、30分だけ時間をつくって会いましたが、そこで私が見た男は゛獣”そのものでした。
南:ほう、そんな状態でしたか。
スマナサーラ:見るからに獣という状態でしたが、親はそんな彼の過去のことは話しません。両親も私のことをよく知っていますから、「我々は二人をそのままにして、出ていきましょう」と出ていきました。
私はこの子に、「いろいろ問題があると聞いています。あなたを助けてあげますが、一つ約束しなければ駄目ですよ。これから瞑想会をやりますから、一緒に瞑想しなさい。一緒に瞑想するという約束だったら、話を聞いてあげます」と言いました。そうすると、あまり気が乗らない様子でしたが、「はい、やります」と答えたのです。それから本人に、いろいろと課題を出したり、質問したりしました。
最初に出した課題は、「はっきりと自分の問題を言ってください」ということです。
その人の問題とは「すごく口下手で、人と会話ができない」ということでした。
「でもね、みんな、ただうるさいだけでしょう?がちゃがちゃぎゃあぎゃあしゃべっているだけの人間になりたい?」「口下手でよかったじゃない」「しゃべらないで、みんなの話を聞いて」と。その連中がどのような人たちか、彼にはよくわかっています。だから「口下手でよかった」と。そんな調子で話してみたのです。
そうして、30分で終わって、それからちょっと瞑想もしました。瞑想が終わったときは、みんなびっくり。変身して、ものすごくかわいい男の子になってしまったのです。
ですからただ、ほんの少し、思考を変える能力を育ててあげればいいのです。
~『出家の覚悟: 日本を救う仏教からのアプローチ (サンガ選書)』より引用
この部分を読んだことによって、自分自身を悩ませていると思いこんでいる事柄も、見方を変えて考えれば、悩むことではなかったということに気付く。
この気付きをいただけたことだけでも、今回の旅は大きな収穫だった。
そして、神様は神社にお参りした時だけでは無くて、いろいろな形を取ってメッセージを、その人のとって分かりやすい方法で伝えてくれるということを改めて認識したりした。
それこそ、テレビやスマホを見ている時にだって、神様からの大事なメッセージが含まれているかも知れないってことで。。。
売り上げランキング: 42,624