今日は日本橋三越前にある奈良まほろば館というところで開催された、『大和路の師走を彩る「おん祭」 -御旅所祭を中心に-』という講座に行ってきました。その前にせっかく日本橋に行くのだから、ちょっと神社でも行っておこうかしらん?と思い、三越前から徒歩で行ける小網神社に行ってみました~。
小網神社目当てで人形町で下車。私は都内に住んでいるけれど、人形町に来たのって何年振りなのかな?って思いつつ、駅を出て少し歩くと「大観音寺」なるお寺を発見。何故かフラフラとお参りさせて頂いた。すごくこじんまりとしたお寺なのに、何故かとても居心地が良かった。
途中親子丼で有名な玉ひでさんに差し掛かる。午後2時前だったので行列はできていなかった。
その後歩いていたら、谷崎潤一郎の生家跡という場所を発見した。カメラを向けると光が差してきた。谷崎潤一郎もよく読んでたな~と思い出しながら。また読めという啓示なのかしらん?と思いつつ歩みを進める。
小網神社に到着。
歩きながら薄々感じていたけれど、ここ私昔来たことある!って神社を見て再確認(爆)
まだパワースポットとか神社ブームとか言われていなかった、若かりし乙女だった頃(笑)現状打破する神社として本で紹介されていたのを見て、こちらに赴いた記憶がよみがえってきた。つか、その時と比べて神社らしくなっていた。その頃は社務所的なものもなければ、手水舎も無く、お守り頂きたいと思って、「御用のある方はボタンを押してください」という呼びベルのようなものを押した記憶が、、、
小網神社の御祭神は 倉敷魂神(お稲荷大神)、市杵島比賣神(弁財天)、福禄寿様で
HPを引用させていただくと
当神社はその御由緒から、「強運厄除の神さま」として崇められています。
第二次世界大戦の際、戦地へ赴くことになった氏子の出征兵士に対し行った出征奉告祭に参列し、当神社の御守を受けた兵士が全員生還されました。また、昭和20年3月10日、東京下町地区に未曾有の災害をもたらした東京大空襲の際は、社殿を含む境内建物は奇跡的に戦災を免れています。旧社殿は大正12年9月1日の関東大震災において倒壊しましたが、当時の宮司は稲荷大神や弁財天等の御神体を抱え、近くの新大橋に避難しました。そこへ大挙して避難してきた人々に混乱がなく、また新大橋自体も落ちずに、大勢の人が助かったといわれています。当時の様子は新大橋の袂にある避難記念碑にも「小網神社の御神体を伏して拝み、加護を願った」と記されています。
十数年前の記憶とは違って、今はひっきりなしに人が訪れていた。「日本橋七福神めぐり」ということで訪れている人がほとんどといった様子。お参りさせて頂こうと鳥居をくぐると、すごく良い気が流れていた。失礼ながら、これほど小さい神社なのに、都内のど真ん中にあるとは思えない気の良さ。お参りさせて頂いたのちに、写真を撮らせていただくと、社殿から何か出ているのを感じた。パワースポットと認めざるを得ないです。こちら。
境内の「銭洗いの井」で金銭などを清め、財布などに収めておくと財運を授かることから、現在は「東京銭洗い弁天」とも呼ばれ、崇敬を広げています、
その後社務所に行き「財運御守」なるものを頂く。
この御守は十月下旬に執り行われる「萬福舟乗辧財天大祭」に因んだ期間限定領布の御守です
なんて書かれていたら、授与して頂かないわけにはいかないって感じで。しかしこちらの社務所の方の対応は、すごーく良かった。御守一つ授与して頂いただけなのに、とても丁寧な対応で、こちらが恐縮してしまうほど。ほかの神社も見習ってほしいところだわーと思ってしまった位です。
東京にも良い場所たくさんあるかもしれないなーって、小網神社にお伺いして感じた。東京もまだまだ捨てたもんじゃないかも?