【その13】率川神社  6th Nov, 2013

奈良駅でコインロッカーに荷物を預け、てくてく歩いて目指すは率川神社。大神神社の摂社でもあります。

HPから引用すると

祭神 狭井大神(さいのおおかみ)【向かって左殿】
媛蹈鞴五十鈴姫命(ひめたたらいすずひめのみこと)【中殿】
玉櫛姫命(たまぐしひめのみこと)【向かって右殿】
例祭日 6月17日
率川神社は、推古天皇元年(593)大三輪君白堤(しらつつみ)が、勅命によってお祀りしたとされる古社で、延喜式神名帳に率川坐大神御子神社(三座)と記されています。

中殿の姫神をはさんで、左右の御殿には御父神と御母神が、まるで姫神を擁護するように鎮座するので子守明神(こもりみょうじん)と呼ばれ、地名の本子守町(ほんこもりちょう)もこのことより起こっています。
安産・育児・息災延命の神として、広く信仰されています。


こちらも『豊穣の海』に出てくる神社だったので、是非とも行っておきたかった場所。
三島由紀夫に「これほど美しい神事は見たことがなかった」とまで書かせた三枝祭(ゆりまつり)が執り行われている神社。

率川神社1

しかし平日の3時過ぎという時間もあってか、誰も居なく、神社の方がお賽銭回収などの作業をしていて、店じまいの前に行ってしまったような気分になる(爆)

ただ、ここは本当に百合のような清らかな空気が流れていた。

率川神社2

三島由紀夫の『奔馬―豊饒の海・第二巻』には下記のような描写で率川神社が描かれていた。

率川神社は奈良駅からほど遠からぬ町中にあり、奥に三殿があって、中央の御子神媛蹈鞴五十鈴姫命を、左右から、父神三輪大神と母神が守っておられる形になっている。朱の勾欄をめぐらした美しい三つの小神殿は、金碧ゆたかに松と竹を描いた白地の障屛(しょうへい)で結ばれている。そしてそれぞれの社前に清らかな三段の石段を具え、さらに御扉にいたるには十段の木の階段を登るようになっている。軒の七五三縄の白い四手が、朱の欄干やその小口の黄や金碧の色彩を没している屋根庇(やねびさし)の深い暗い影の前に、清浄な牙のように浮き出ている。

なので、拝殿から本殿が目の当りに見られるような恰好なのか?と思っていたけれど、店じまいなのか?拝殿が閉まっていたので、拝殿中から本殿を見る事が出来ずに、ちょっとがっかり。社務所で御朱印頂くも、おざなりな対応にこれまたがっかり。

期待が大きすぎると、失望も大きいという事を学んだ(爆)

気をとりなおして、次の目的地、春日大社へと向かう。

ガイドマップを見ると、まっすぐ歩いていけば春日大社に着けるみたいだったので、そのままズンズン進んでいくと、次第に奈良っぽさが漂ってきた。観光客もたくさんいて、外国人の多さにはびっくりした。

奈良

そして奈良公園で鹿注意の看板を見て、奈良に来ていることを実感したのだった。

(奈良の下のほうばっかり行っていて、奈良の中心地に来たのは初めてだったのでー笑)

看板

スポンサーリンク
スポンサーリンク
スポンサーリンク

シェアする

フォローする

スポンサーリンク
スポンサーリンク
スポンサーリンク
Copy Protected by Chetan's WP-Copyprotect.