辺津宮から歩くこと3分程度、そこに中津宮は鎮座している。
江島神社というのは、現在は神社なのだけれども、明治の神仏分離の際にお寺から神社へと変貌した神社だったりする。
社伝によれば、欽明天皇13年(552年)、神宣に基づき欽明天皇の勅命により、江の島の南の洞窟に宮を建てたのに始まると伝える。神仏習合により当社は金亀山与願寺と称する寺となった。『吾妻鏡』によれば、寿永元年(1182年)、源頼朝の命により文覚が島の岩屋に弁財天を勧請したとあり、これをもって創建とすることもある。歴代の鎌倉幕府将軍・執権や、代々の領主から崇敬を受けた。江戸時代には弁才天信仰が盛んになり、多くの庶民が参詣するようになった。
当社には岩本坊・上ノ坊・下ノ坊の3つの別当があり、それぞれ岩屋本宮(現在の奥津宮)・上之宮(現在の中津宮)・下之宮(現在の辺津宮)を管理していた。その中で岩本坊は総別当とされ、江島寺とも称した。慶安2年(1649年)に京都・仁和寺の末寺となってからは、岩本坊のみ院号の使用が認められて「岩本院」と称するようになった。三坊は競って当社の縁起を説いて回り、参詣者を集めた。そのうちに利権争いが起こり、寛永17年(1640年)、岩本院は幕府からの朱印状を得て上ノ坊を吸収した。後に下ノ坊も支配するようになり、岩本院が全島の権益を握ることとなった。
明治元年(1868年)の廃仏毀釈により三重塔の他多くの仏教施設や仏像などが破壊された。明治6年(1872年)には、仏式を廃して神社となり「江島神社」へ改称、県社に列せられた。同時に僧侶は全員僧籍を離れて神職となり、岩本院は参詣者の宿泊施設としても利用されていたことから、旅館となり「岩本楼」へ改称した。~Wikiより引用
なので、神道バリバリの神社とは違った、昔お寺だったという雰囲気を感じるところができる場所だったりする。
中津宮から見える光景は、ホントに綺麗。
江島神社 中津宮
狛犬さんたち
社殿からしても、イイカンジ。
こちらにお招きいただいたことに感謝してお参りさせていただく。
中津宮は女子に優しいところだなぁ、となんとなく感じた。
そして水琴窟へと向かう。
中津宮 水琴窟
美しい音色の出し方という看板があったので、それに従って柄杓で水を石にかけると、とても涼やかな音が聞こえてきた。
水は全ての命を繋ぐ源であり、それを司っているのは龍である。
私が龍に惹かれるのは、そういう一面もあったりする。
水琴窟の音に耳を傾けていると、龍がささやいているような、気がした。
全ては必然である、と。