大山阿夫利神社は新宿から1時間弱で行ける場所なのだけれど、なかなか足が向かない場所だった。
けれども2014年12月に貴船神社にお伺いして、高龗神さまが気になったことや、去年の夏にとある神社に行った際に、見知らぬおじさんから「あんた大山阿夫利神社に行った方がいいよ」と言われたことなどを思い出して、行ってきました、大山阿夫利神社。
去年の夏頃、自分自身がどうしていいのか良く分からなくなっていた、という部分もあって、その時に、その見知らぬおじさんから言われた言葉が
「どうすれば良いのかわからなかったら、大山阿夫利神社にお参りに行った方がいいよ」
と言う言葉だった。
李家 幽竹さんの本にも同じようなことが書かれていたことを思い出して、このおじさんは李家 幽竹さんのファンなのかしらん?とも思ったけれど(笑)確かにお伺いしてからは、迷い、というものは無くなったような気がする。
弱い自分を変え、これから進むべき道を示してくれる運がもらえます。
~改訂3版 絶対、運が良くなる旅行風水より引用
こんなに元気が貰えるのならば、とっとと行っておけばよかったと思いつつ(笑)
まぁ、何事もタイミングですからねぇ。
丹沢・大山フリーパスというものをゲットして、伊勢原駅に辿り着く。
バスに揺られること、15分程。
大山に近づくにつれ、これはどこかで見たような風景だなぁ、と思っていた。
奈良の洞川の雰囲気にそっくりなのだった。
さすが修験道に関連している土地だなぁ、と思いながらも、バスの車窓から風景を眺めていると、初めて訪れる場所なのに何故か懐かしい気分に包まれていた。
バスを降りて、ケーブルカーで大山阿夫利神社に行く。
高尾山みたいに、駅を降りたらすぐケーブルカーに乗れるという立地では無く、バスを降りたらケーブルカーの駅まで10分程度歩かなくてはならないのですよ、、、
これがねぇ、予想していなかっただけにきつかったのです(笑)
まぁ、この後もっときつい登山というものが待ち構えていたのですけど、この時の私はそんなことは知る由もなく(爆)
お土産屋さんを抜けて
ケーブルカーのりばに着く頃には、バテバテだった(爆)
しかし、ケーブルカーのりばの入口に、神様がいらっしゃったのでご挨拶。
根之元神社
いきなり悪縁・邪念を断ち切る神様だった(爆)
そして丹沢・大山フリーパスでケーブルカーに乗車。
私は高尾山や高野山、吉野山みたいにケーブルカーがあるようなところが大好きなので、こちらでもケーブルカーに乗られてご満悦♡
そして阿夫利神社駅に到着。
景色が綺麗ということで、皆様写真を撮られていたので、私も写真を撮ってみた。
光の柱が立っていたのをカメラの画面で確認して、ここはそういう土地なんだと改めて認識。
そしてテクテク歩いて、大山阿夫利神社下社へ。
ここも階段だよ~(涙)
ホント、神社仏閣めぐりは足腰鍛えなくてはやっていけない部分が大きいと実感。
手水舎
手水で清めて、階段を駆け上る。
狛犬さんたち
鳥居前の狛犬さんたち
どうもどうも、とご挨拶して鳥居を潜る。
拝殿
こちらにお招き頂いたことに感謝してお参りさせていただく。
ここまで来られたことにとっても嬉しくなってしまった。
拝殿左側には獅子山なるものが。
獅子山
先月妙心寺で見た、瓦に載っている獅子を思い出したりした。
そして、大山阿夫利神社下社に来たら、絶対お水は頂こうと思っていたので、社務所で御神水用のペットボトルをいただいて(初穂料¥200)お水を汲んだ。
神泉
やっぱり水って大切なんですよね。
水が汚いものを洗い流し、すべてを清浄にさせる。
人間も水のように、回りの環境によって、氷になったり、霧になったり、雨になったりして、いろいろな姿に変化していくことが、自然な姿なんじゃないかしらん、と、思ったりしていた。先月貴船神社に行った辺りから。
氷も霧も雨も雪も、姿や呼称は違うけれど、全ては水から出来ている、ということ。
汚れもしないし、清きものである。
人間というもの、本来は汚れもしないし、清きものであるんだろう、と。
ただ、一箇所に留まっていたら、結局のところ、濁ってしまうということで。。。
神泉の近くにはさざれ石などもあった。
そしてお守り等授与所へ行って、御朱印を頂く。
こちらの巫女さん達はとってもイイカンジでした。
そして、神社なのにごま木があるところに、神仏混淆の名残を感じたりした。
ごま木
せっかくなので、ごま木に願いを込めて、お焚き上げさせていただいた。
境内を散策すると、国学の祖の権田直助爺の像が。
何故大山阿夫利神社で国学?と思って権田直助爺について調べてみたら
1809-1887 江戸後期-明治時代の国学者,医師。
文化6年1月13日生まれ。安積艮斎(あさか-ごんさい),平田篤胤(あつたね)らにまなぶ。尊王攘夷(じょうい)を支持し,西郷隆盛らと行動した。古医方を唱え,維新後は大学中博士,皇漢医道御用掛などをつとめる。明治6年相模(さがみ)(神奈川県)大山阿夫利(あふり)神社宮司となった。明治20年6月8日死去。79歳。武蔵(むさし)入間郡(埼玉県)出身。名は玄常。号は名越廼舎(なごしのや)。
~コトバンクより引用
大山阿夫利神社の宮司様だったんですね。。。
権田直助爺の像
そして頂上登山口方面を歩くと浅間社が。
浅間社
こちらは木花咲耶姫様と、磐長姫様がお祀りされているお社。
先月貴船に行ったばっかりで、磐長姫様に再びお会いできるとは思っていなかったので、びっくりしたのと同時に、この2柱の御祭神がお祀りされているお社って珍しいよなぁ、と思いながら参拝させて頂いた。
天満宮
そして、入山祓所に到着。
入山祓所
祓えたまえ、清めたまえ、とお祓いして、入山お祓い初穂料を支払って、いよいよ大山阿夫利神社本社へと向かうのでした。