鞍馬・貴船を満喫した後に、京都に来たらどうしても行きたかった東寺へと移動。
2013年に京都に行った際には、拝観時間を過ぎていたので拝観出来なかったのだ。それがずっと心残りだったものなので。
今回は近鉄東寺駅から行ったので、一番近い門が南大門だった。
東寺 南大門
この旅はクラブツーリズムのフリーツアーを利用していたので、その気になったら京都から足を延ばして高野山まで行くことも可能だった。実際、旅に出る前まで異様に空海さんが気になっていたので、高野山に行こうかと思っていたけれど、年末は霊宝館が休館ということを知って断念したという経緯もあった。
まず最初にお伺いしたのは、八島社。
八島社
そして、東寺に来たら絶対お伺いしなくては!と思っていた八幡社へ。
空海さんのことをイロイロ調べていたら、八幡神さまと空海さんの関係というものが、とても強固なものだというのが分かったもんで、、、
鎮守八幡宮
2014年は宇佐神宮へお伺いしたこともあって、それからと言うものは、八幡様にはとてもお力を頂戴した。
こちらにお招き頂いたことに感謝して参拝させていただく。ここは人があまり来ない場所なので、じっくりと参拝が出来た。
修行大師
灌頂院 東門
今回は絶対講堂と金堂の拝観をしたかったので、拝観時間に間に合うように足早に拝観受付のところへ向かった。
柵の外から金堂と講堂をパチリ。
そして拝観受付を済ませて、まずは講堂へ。
講堂
重要文化財。金堂の背後(北)に建つ。東寺が空海に下賜された弘仁14年(823年)にはまだ建立されておらず、天長2年(825年)空海により着工、承和2年(835年)頃完成した。
当初の堂は文明18年(1486年)の土一揆による火災で焼失し、室町時代の延徳3年(1491年)に再建されたのが現存する講堂である。単層入母屋造で純和様である。金堂が顕教系の薬師如来を本尊とするのに対し、講堂には大日如来を中心とした密教尊を安置する。すなわち、須弥壇中央には大日如来を中心とする五体の如来像(五仏、五智如来)、向かって右(東方)には金剛波羅密多菩薩を中心とする五体の菩薩像(五大菩薩、五菩薩)、向かって左(西方)には不動明王を中心とした五体の明王像(五大明王)が安置されている。また、須弥壇の東西端にはそれぞれ梵天・帝釈天像、須弥壇の四隅には四天王像が安置されている。以上、全部で21体の彫像が整然と安置され、羯磨曼荼羅(立体曼荼羅)を構成している。
これら諸仏は、日本最古の本格的な密教彫像であり、空海没後の承和6年(839年)に開眼供養が行われているが(『続日本後紀』)、全体の構想は空海によるものとされる。21体の仏像のうち、五仏のすべてと五大菩薩の中尊像は室町時代から江戸時代の補作であるが、残りの15体は講堂創建時の像である。これら21体の仏像の表す具体的意味について、かつては仁王経に基づく羯磨曼荼羅であると説明され、仁王経と金剛界法とを融合したものとも説かれるが、空海の真意が何であったかについてはさまざまな解釈があり、定説をみない。
~Wikiより引用
ということだったので、拝観させていただくまでは、高野山の壇場伽藍的な雰囲気なのかしらん?と思ったけれど、実際目の当たりにすると高野山の壇場伽藍の華やかさとは全然違うものだった。
それにしても観光客の多さと私語の多さに辟易としてしまった。
やっぱり仏様を拝む時くらいは、静かにしてほしいな、と思ってしまったりして。
気を取り直して、次に金堂へ。
国宝。東寺の中心堂宇で、諸堂塔のうちもっとも早く建設が始められ、東寺が空海に下賜された弘仁14年(823年)までには完成していたと推定される。
当初の堂は文明18年(1486年)の土一揆で焼失し、その後1世紀近く再建されなかった。現存の建物は慶長8年(1603年)、豊臣秀頼の寄進によって再建したもので、奉行として片桐且元が任にあたった。
入母屋造本瓦葺きで、外観からは二重に見えるが一重裳階(もこし)付きである。建築様式は和様と大仏様(天竺様)が併用され、貫や挿肘木を多用して高い天井を支える点に大仏様の特色が見られる。内部は広大な空間の中に本尊の薬師如来坐像と日光菩薩、月光菩薩の両脇侍像が安置されている。
~Wikiより引用
ということで、中央に本尊の薬師如来様と、左側に月光菩薩様、右側に日光菩薩様という配置。
こちらで薬師如来様にお参りさせて頂いて、ご真言の「 おん ころころせんだり まとうぎそわか」と唱えたら、身体がぐわーーと左側に傾いて、自然と月光菩薩様に向かってお参りしているような格好となった。。。
って書くと怪しい人みたいだなぁ私(笑)
ほとんどプランニングせずに、その日の気分でいろいろなところにお伺いした今回の旅のテーマを探って行くと、結局は「水」と「月」が関わっているということをおぼろげながら感じていたのだけれど、ここで、月光菩薩様を見つめるように導かれたのは、何とも不思議だった。
不思議な気分のまま金堂を後にして、五重塔へ。
五重塔
そして池で優雅に泳ぐ鯉を見たり
そして御影堂へ
御影堂
東寺来たら、ここ来なきゃ東寺に来た意味が無いってくらいの場所なのに、余り人が居ないように感じた。
国宝。かつて空海が住房としていた、境内西北部の「西院」(さいいん)と呼ばれる一画に建つ住宅風の仏堂である。
前堂、後堂、中門の3部分からなる複合仏堂で、全体を檜皮葺きとする。昭和33年(1958年)の国宝指定時の名称は「大師堂」であるが、寺では主に「御影堂」の名称を用いている。
当初の堂は康暦元年(1379年)の火災による焼失後、その翌年に後堂部分が再建された。10年後の明徳元年(1390年)、弘法大師像を安置するために北側に前堂、その西側に中門が増築された。
後堂(南側)には空海の念持仏とされる不動明王坐像(国宝、9世紀)を安置する。厳重な秘仏で非公開であるが、日本の不動明王像としては最古の作例の1つである。北側の前堂には弘法大師坐像(国宝)を安置する。この像は東寺の親厳の依頼により、天福元年(1233年)運慶の4男康勝が制作したもので、空海の弟子の真如が描いた空海の肖像とほぼ同じといわれている。
この像は庶民の信仰を広く集めており、像の前では、毎朝6時に「お大師様」に朝食を捧げる「生身供」(しょうじんく)が執り行われ、多くの参拝者が集まる。
~Wikiより引用
三面大黒天
不動明王
東寺御影堂・大師堂
こちらで参拝させていただいたら、何故か涙がちょちょぎれそうになってしまった。
そして食堂へ。
食堂(じきどう)
十一面観音菩薩様にこちらにお招き頂いたことに感謝してお参りさせていただく。
ちなみに、こちらで御朱印が頂戴できます。
四国お遍路は東寺に始まり高野山奥の院で終わるということで、こちらではお遍路グッズ等々やお遍路の案内のリーフレットなどが沢山あった。私も、いつかお遍路もやらなくてはならない時がくるのかしらん?と思いつつ、それらを見ていた。
同行二人。
御朱印は全部で9種類程あったのだけれど、今回は弘法大師空海様と、大日如来様と薬師如来様の御朱印を頂戴した。
御朱印を頂戴している時に、後ろに並んでいたカップルが「何とか観音って御朱印もあるよー」とバカ丸出しの会話をしていたので、ちょっと萎えた、、、十一面観音菩薩様に対して超失礼じゃんと思いつつ。。。
御朱印貰う人も、まだまだ記念スタンプ感覚で貰う人が多いのだと痛感して、食堂を後にした。
やっぱりいつか再び、高野山へ行かなくちゃいけないんだろうな、と思いつつ東寺を後にした。