松尾大社を後にして、歩いて嵐山まで戻る。
嵐山は何処を見渡しても美しい景色が広がっている。
渡月橋は左側通行って書いてあるけれども、外国人観光客にこの看板が読める訳もなく、鬼のような観光客の軍団を潜り抜け、嵯峨野の竹林に差し掛かる。
人が居なければ、幻想的な雰囲気なんだろうけれども、実際はそれはそれは多くの人が居た。
来た時間帯が悪かったよな、と思いつつ(15時過ぎ)、野宮神社を目指す。
野宮神社は一回はお伺いしたかった場所でもあった。
野宮はその昔、天皇の代理で伊勢神宮にお仕えする斎王(皇女、女王の中から選ばれます)が伊勢へ行かれる前に身を清められたところです。
嵯峨野の清らかな場所を選んで建てられた野宮は、黒木鳥居と小柴垣に囲まれた聖地でした。その様子は源氏物語「賢木の巻」に美しく描写されています。
野宮の場所は天皇の御即位毎に定められ、当社の場所が使用されたのは平安時代のはじめ嵯峨天皇皇女仁子内親王が最初とされています。斎王制度は後醍醐天皇の時に南北朝の戦乱で廃絶しました。その後は神社として存続し、勅祭が執行されていましたが、時代の混乱の中で衰退していきました。
そのため後奈良天皇、中御門天皇などから大覚寺宮に綸旨が下され当社の保護に努められ、皇室からの御崇敬はまことに篤いものがありました。
黒木鳥居と小柴垣は平安の風情を現在に伝え、源氏物語、謡曲野宮でも有名な当社は、嵯峨野巡りの起点として多くの方が訪れられます。えんむすびの神様、子宝安産の神様として全国から崇敬を集めています。
~野宮神社HPより引用
斎王が身を清められた場所、ということで、伊勢通いをしていた頃から、こちらにはお伺いしなくては、と思っていた。
しかし、実際に足を運んでみたら、お祭か!ってくらいの人でして、特に外国人観光客が沢山居て、集団で騒ぎながら写真を撮ったりしている様子に面喰ってしまったというのが、正直な感想だったりした。
境内に足を踏み入れても、神社の中に入った、という感覚が全く無く
お稲荷さんたちも、見つからないように息を潜めているように感じてしまったりして。
少し残念な気持ちになりながら野宮神社を後にした。