稲荷信仰の験力と奇瑞~『霊能一代』を読んだ

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photo credit: Duncan WJ Palmer via photopin cc

お稲荷さんって何で悪く言われるんだろう?と疑問を持ち始めて、いろいろな本を読んでいる。

このブログでも、お稲荷さんがお祀りされている神社仏閣についても記事にしている訳だけれど、その記事に対して「お稲荷さんに参拝するなんて信じられない」と言ったようなHate commentsが届くようになった(その他にもコメントについてはイロイロなことがあったので、ブログのコメント欄は閉鎖しました。今までコメント下さった方、ゴメンナサイ、、、)

こういったことがあったのも一因で、よりお稲荷さんに対して理解を深めたいという想いが一層高まって、いろいろ調べていくと、空海さんやら修験道、立川真言流といったものまで、イロイロなことが関わりあっていることがおぼろげながら分かってきた。

そしてそんな中、『霊能一代』という本に出合った。
著者の砂澤たまゑさんは伏見稲荷大社直轄の講社の三丹支部の支部長を長年つとめられたという方。

神さまと不思議

希有な霊能力者が語る神秘体験の数々……。

稲荷信仰の験力と奇瑞。

予知力・透視・透聴・霊視・治癒力、神との交流……、

宗教本来の力を身をもってよみがえらせ、

厳しい修行と人助けに一生を捧げた宗教家の

心豊かな無私の人生。

~新元社 HPより引用

この本は、著者が小さい頃から不思議な能力があったというお話や、神様に導かれて霊能者としての修行をされたお話、そして神様に対する姿勢などが書かれていた。

タイトルが『霊能一代』というものだったので、よくあるうさんくさい霊能者やスピリチュアルな人の「私ってこんなに神様に愛されているのよ~、あんたたち凡人とは違うんだから~」といったような自慢話本なのかしらん?と思ったけれど、そういう臭いは全くしない本だった。

むしろ、著者の方を通じて、神様がおっしゃりたいことを表現されていているように感じて、読んでいると明るく暖かい気持ちになっていった。

気になった言葉を幾つかピックアップすると、

お稲荷さんも人間が一番怖いとおっしゃっておられます。人間の心が一番怖いとおっしゃるのです。ですから、最近はどんな目にあわされるか分からないので、隠れておられ、なかなか出てこられません。

普通の人には、神様がお山にたくさんおられることは見えないでしょうが、実はたくさんいらっしゃるのです。魂に姿形はありませんから普通の人には分からないだけのことなのです。

あと、最近滝行をする人も多いですよね。

私も迷っていた頃に、滝行をしようと某パワースポットの滝行が出来る宿坊に予約を入れてみたものの、前日になって予定外の「まけ」になってしまって、滝行が出来なくなってしまってキャンセルした、ということがあったりしたけれど、これを読んだら、何かが救ってくれたのかも、、、と思わずにはいられなかったのでした。

お滝はだれが入ってもいいというものではありません。そんなに簡単なものではないのです。修行のできてない人が入ると飛んでもないことが起ります。まちがって入ってしまったために金縛りにあっている人や、のたうち回っている人、宙に浮いている人などを見かけたことがありました。

お滝では憑いた霊を落としますので、落ちた霊がたくさんいます。ですから心の弱い人が勝手に入ると、そういった霊が憑きます。まただめな人はいくらお滝を受けても霊は落ちません。

また、以前 本物は自らを本物とは言わない~『うわさの人物』を読んだ という記事を書いたけれど、その中で三木芳照氏(仮名・神社神職・神官)という方が『よく占いで「当たるも八卦、当たらぬも八卦」と言いますけど、あれは嘘です。本当にできる人は100パーセント、言えば当たる』と発言されていたことが印象に残っていた。そして、この本の中でも同じようなことを著者の方がおっしゃってた。

私はすべてのことを断言しますが、それは神様がそうおっしゃっているからなのです。神様がおっしゃってることはすべて正しいということを私自身が身をもって体験してきたからこそ、自信をもって断言できるのです。

しかし力のない霊能者にはそれができません。ですから当たることもあれば外れることもあるとなってしまうのです。多少霊感があるという人はときどきおられますが、そういった人と修行を積んだ本当の霊能者とは霊力が違うのです。

この本の中には、学ぶことが沢山あってとてもブログにまとめるといった簡単な本ではないのだけれど、最後にこれだけは残しておきたいというものを引用させて頂きます。

人間は自然なしには生きていくことができません。自然に感謝しなくては生きていけません。神様は手を合わせてもたれきったものには必ず応えられます。ですから信じてもたれきることが大切です。それが信仰というものなのです。

信仰とは、自分がお願いをしたらまかせきることです。そうしていれば奇跡も起こるのです。ただ、無理なお願いはしてはいけません。宝くじで一千万円当てたいとか、そういった類いのことは当然のことですが応えて下さいません。それはたんなる欲にすぎないからです。

神様ごとは迷ってはいけません。「本当かな」と言ったり「できるかな」と言ったりしていると、聞いて下さいません。素直に従うことが大切です。するとできないんじゃないかと思っていたことでも実現してしまうのです。

神様にも好き嫌いはあります。素直でない人、感謝のできない人、欲の強い人、信じない人にはそっぽを向いてしまわれます。はっきりと嫌いだとおっしゃいます。

まとめ

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お稲荷さんのことを調べているうちに出合った本でしたが、神様と向き合う姿勢を改めて見つめなおすことが出来た、とても良い本でした。

この本を読むご縁を頂けたことに、感謝します。

機会があれば私も、伏見稲荷大社にお伺い出来れば、と思いました。

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