自分を見つめなおす旅~永平寺に行ってきた‐その⑤一泊二日の参籠#2

永平寺参籠15

東司近くにあるホワイトボードにその日の予定が書き出されているということで、それも見ておくように、と雲水さんから案内を受けていたので確認したら、この日は法話が無かった。

17:30になり、雲水さんがお部屋に薬石(夕飯)を持ってきてくれた。

宿泊している人数が少ないと、お部屋食になるようです。

永平寺参籠19

ここでも食事を終えたら、食器を重ねて部屋の外に出すようにとの案内を受け、その食器を所定の順番に重ねておくようにとの説明を受ける。

箸袋には「五観の偈」が書かれていた。お箸は翌朝にも使うので自身で取って置くようにとのことだった。

この箸袋には、食前の偈、食後の偈が書かれていたので、食前食後に唱えた。

永平寺参籠20

しかし修行というには余りにも豪家なお食事だったけれども、量は本当に少ない。普段自分が如何に多くのものを食べているのかということをありありと感じることが出来た。

蛇腹昆布も美味しくいただいた。

永平寺参籠21

この蛇腹昆布というのは、昆布を網状に組んで油で揚げた永平寺名物ということです。

食後、東司に行くとポスターが目に入った。

はきものをそろえる

永平寺参籠22

このはきものをそろえる、というポスターを見て、『坐禅をすれば善き人となる―永平寺宮崎奕保禅師百八歳の生涯』に書かれていた宮崎禅師様のエピソードを思い出す。

「禅師様は、自分に対してもとても厳しい人でした。行持(坐禅などの修行)は、どこに行っても一人でもやっていました。その姿は、気高く尊いという感じで、釈迦か道元禅師様かと思うほどでした。生きた道元禅師とも言えるような感じです。

そんな禅師様から一番学んだことは、とにかく、人が見ていてもいなくても、自分に厳しくなくてはいけないということでした」

若い僧侶だけではなく、すでにある程度の修行を積んだ僧侶たちも、禅師の行動に驚いたという。札幌市内にある含笑寺という寺の住職を務める神谷俊雄老師もその一人である。

神谷老師の記憶に残るのは、僧侶たちの親睦会が、ある温泉旅館で開かれた時のことである。

その日、神谷老師は、宮関禅師と一緒に風呂に入るために浴場に行った。すると、浴場の入り口に他のお客たちのスリッパが散乱していた。それを見た宮崎禅師が、脱ぎ散らかされたスリッパをおもむろに整えだしたのである。

「私が、『私がやりますから』と言うと、禅師様は『自分がやるからいい』と仰いました。永平寺の後堂も務めたことがある方が、一生懸命にスリッパを整える姿を見て、私は感動しました。そして、一緒になってやらせてもらいました。

禅師様は、とにかく徳を尊ぶ方で、人が嫌がるようなことを、人が見ていないところで、いつもなされていました。よく『徳を積みなさい』と仰って、それを自分がまず実行して見せたんです。だから、中央寺ではみんな、禅師様のやることを真似したんです」

~『坐禅をすれば善き人となる―永平寺宮崎奕保禅師百八歳の生涯』より引用

私は、まだまだ人間が出来ていないから、こういうことがサラっと出来るようにはならない。

伊勢通いをしていた頃に、宿泊した神宮会館の御手洗いで、スリッパが散乱していたのを見て、なんで私も同じ宿泊客なのに、他のお客さんが散らかしたものを整理しなくてはならないんだ、とモヤモヤしながらもスリッパを整えたりしたことも思い出した(性格的にこういう整理整頓されていない状況が許せないもんでしてー爆)

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そして19:10前に部屋から出て、夜坐のために、吉祥閣4階の僧堂へと雲水さんに案内してもらう。

ホワイトボードの注意書きに

スリッパ、靴下をはかずに僧堂へと移動

と書かれてので、真冬だというのに裸足で僧堂へ移動した。そして、この日の参籠参加者が自分一人だったということを知った(笑)

お寺で坐禅をするのは、初めてだったりする。

昔高野山の宿坊に宿泊した際に阿字観(瞑想)の指導を受けたことはあるけれども、瞑想と坐禅は似て非になるものだったりした。

雲水さんから坐蒲の扱い方や座り方などの指導を受けて、坐禅に入る。

僧堂が暗くなり、鐘が三回鳴って坐禅が始まる。

途中、雲水さんから姿勢を直されて、自分が前傾姿勢の傾向にあることが確認できた。

坐禅は20分程で終了して、その後は別室に案内されて、永平寺の修行についての映画鑑賞。

ここでも一人っきり。

一人参籠だったので、法話などは行われなかったのだろうけれども、ある意味、とても贅沢な時間が過ごせたのではないかと思えた。

映画鑑賞が終わり、部屋に戻る。

就寝が21時ということだったので、それまで持参していた『坐禅をすれば善き人となる―永平寺宮崎奕保禅師百八歳の生涯』を読む。

誕生日クライシスの落ち込みというのは、今後どうしていけばいいのかという悩みでもあった。けれども、この就寝までの時間に読んだこの本の中に、答えがあった。

ーご自分の長い人生の中で、よかったと思うことは何でございますか。

「よかったなんて思わんでも、自分の道を真っ直ぐに行うことは、それを実行することによって、自分の道を否定しておらんことや。だから実行しておることは、受け入れておるわけだから、そのことをまじめに実行するほかない。自分の道に不服を持っておっては、それは道を裏切っておる。自分の道をまじめに実行するところに、自分の職業を信じ実行しておることになる。

だから、修行をやめようと思ったことはない。自分の行っておる職業は正しいと、もっぱら信じておる。ことに道元禅師様の仏法、こんな正しい宗教はないと、確信を持っておる。もう他のことは何もない。我が宗門を信じるだけや。修行以外に生きる道はない」

~『坐禅をすれば善き人となる―永平寺宮崎奕保禅師百八歳の生涯』より引用

何度も、何度も読んできた本だったのに、この部分に気付けていなかった自分の愚かさに気付く。そして、自分が今生活の糧としている職業は、果たして自分の道に通じることとなっているのだろうか?と自問自答した。

部屋には永平寺川の川の流れの音だけが響いている状態だった。

この静寂の中、このセンテンスを読んだ瞬間、自分自身の中の答えを見つけ出すことが出来たと悟った。

坐禅をすれば善き人となる―永平寺宮崎奕保禅師百八歳の生涯
石川 昌孝
講談社
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