楽しんで過ごせる道を進みなさい~狸谷山不動尊

大きなことを成し遂げねば 偉大な人間にならねばと自分を追い詰める必要はない

大切なのはあなたの心

あなたの人生はあなたのもの

遠回りだと感じても楽しんで過ごせる道を進みなさい

境内図を見て、本堂に辿り着くまでにはまだ10分以上歩かなくてはならないと知った時の絶望感。

写真では明るく映っているけれども、実際には薄暗く、雨も降ってきていたので霧がかった状態での中歩みを進める。

土曜日だと言うのに参拝客の姿は無く、一人薄暗い中を歩いていると冥界にいるような気分にさえなってきた。

やっと健康階段と呼ばれる250段の階段下に辿り着く。

沢山の狸がこれまた冥界感を増す訳で。

大本山 狸谷山不動院

大本山・狸谷山不動院 木喰行を体得するために高野山に登った木食正禅朋厚(後に木食養阿上人・貞享4年・1687~宝暦13年・1763)は、享保3年(1718)、自らの修行地として樹木誉蒼とした一乗寺狸谷の地に高さ・深さ共に二丈からなる洞窟に入山し、そこに身の丈五尺の石像「狸谷不動明王」を安置する。それ以来狸谷不動明王信仰が始まり、途中廃仏毀釈などで嘆かわしい事態が続いたが、その祈りの法灯を護持継承する為、昭和19年(1944)第1世貫主亮栄和尚が入山し、自然の地形を最大限に生かした現在の森林伽藍を築き上げ、真言宗修験道大本山狸谷山不動院として再興したのである。現在の懸崖造りの本堂内陣がその洞窟にあたる。
また、朋厚法師は他の宗教活動として六墓五三昧の念佛行、真如堂阿弥陀如来像建立、五条坂安祥院再興などがあり、東海道の最後の難所である「日ノ岡峠」改修工事などの社会事業にも携わり、京都に多大なる功績を残している

と言うお寺。

京都のガイドブックなどには掲載されることは少ないお寺だけれども、私も確か加門七海さんの著書か何かでこちらのお寺の存在を知って、一度はお伺いしてみたいと思っていた場所だった。

石段を登っていると弁財天様がいらっしゃるということでそちらに歩みを進める。

この独特の雰囲気。

好きな方にはたまらないのでしょう。

御真言をお唱えさせていただき、こちらにお招きいただいたことに感謝してお参りさせていただいた。

階段に戻るとまだ50段しか登っていないとのことだった(笑)

人の姿は無い。

それは一人になって神仏と、そして己自身と対話せよ、ということなのだろう。

スポンサーリンク

過去はPast、

未来はFuture、

現在はPresent。

今というものは、Presentというギフトの時間なのだから、過去や未来に思いあぐねることなく、「今」というその時間を大切にしないといけないという言葉をふと思い出した瞬間だった。

階段の歩数表示は今居る場所。

そこで何を感じるのかは、自分次第。

ここまで歩んできたことを喜ぶのか後悔するのか、

この先の歩みを想像して辟易とするのか、その歩みの先に見える風景を想像して自らを鼓舞するのか。

この先進むのか、または引き返すのか。

選択肢はいろいろあるけれども、何を選ぶのかは自分次第。

ただ一つの真実は、今そこにいるということだけだった。

ある程度開けた場所に辿り着くといろいろなお社がある事に気付いた。

役行者様がお祀りされているのは修験道。

雨と暑さと湿気でヘロヘロになりながらも、ようやく本堂に到着した。

入山料を支払い、本堂へお参りさせていただく。

丁度、狸谷不動明王特別参拝実施中ということで

間近でこちらの不動明王様へお参りさせていただくことが出来たのだけれども、他に参拝客の居ない中、こちらの不動明王様と対峙するのはある種の恐怖感を覚えるものでもあり、今までの自身の怠慢をこちらの眼力鋭い不動明王様は全てお見通しなのだと悟った。

今回こちらにお招きいただいたことに感謝してお参りさせていただく。

高台から望む京都の街並みは変わること無く美しい。

なんとなく御御籤を引いた方が良いような気がして、今の私に必要なお言葉をお授け下さいと願いながら御御籤を引かせて頂くと

大きなことを成し遂げねば 偉大な人間にならねばと自分を追い詰める必要はない

大切なのはあなたの心

あなたの人生はあなたのもの

遠回りだと感じても楽しんで過ごせる道を進みなさい

と書かれていた。

この言葉を授かる為に、今回こちらにお伺いすることになったのかと腑に落ちた瞬間だった。

奇遇にもこのブログを読んで下さっている方にも、こちらの不動明王様が伝えたいメッセージなのだろう。

スポンサーリンク
スポンサーリンク
スポンサーリンク

シェアする

フォローする

スポンサーリンク
スポンサーリンク
スポンサーリンク
Copy Protected by Chetan's WP-Copyprotect.