いつもは駅の階段を登るのもめんどくさいと思ってしまうほど、全く運動というものには縁が無い私だけれども、何故か神社仏閣にお伺いすると、サクサク歩ける自分が居る。
それは自然の中だから気分が良くなり歩けるのだとも考えられるけれども、やっぱり何かの力が引っ張ってくれているような気がするのは、私だけではないと思う。
伊豆山神社の白山社遥拝所脇にあるハイキングコースを歩こうかと思ったけれども、やはり日曜日ということもあって、多くの観光客がそちらの方を歩いて行く姿が見えたので、郷土資料館脇からも歩けるルートがあると知り、へそ曲がりな私はそちらのルートをチョイスした。
少し歩いて行くと、境内図などには示されていない祠が祀られていた。
そしてここから白山社までの道のりが、尋常じゃない位勾配がきついことに登りながら気付いた(爆)だから誰も居ないのだと思いながら、そして、引き返した方が良いんじゃないかと自分自身と葛藤しながら、歩みを進める。
この先から本当にきつかったので写真を撮る余裕も無かったのだけれども、勾配のキツイところには御親切にロープがあったので、そのロープにしがみ付くような格好で登っていくしか無い位だった。
そして登り切った、と思ったところにあったのが、こちらだった。
伊豆山修験の行場跡
案内版には
当地は白山社の参道の途次に位置し、巨岩の真下に隠れるように小祠が鎮座安置している。
ここにいたる道がもともと無かったことなどから、伊豆山の修験者が峯入りの際に拝したものと想像され、伊豆権現等を勧請して日夜修行した修験行場としての痕跡をとどめている。
と書かれていた。
まさかこういったものがあるとも知らず、そして白山社遥拝所脇のルートだったらこちらには恐らく気付かなかっただろうと思うと、神様・仏様は私にこちらの存在を示すがために、こちらに導いて下さったのだと思うと、恐縮する気持ちで一杯になった。
そして、こちらにお招き頂いたことに感謝してお参りさせていただいた。
伊豆山が修験の地だったと言う事を身をもって体験させていただいた後に、白山社遥拝所から続いているハイキングコースに合流。
このコースは歩きやすいなぁと思いながら歩いて行くと、鳥居が見えてきた。
この白山社付近はそれこそ修験を思わせる。
大きな岩があちこちにある景観を見ると、大山阿夫利神社本社へ登った時と同じような雰囲気を感じた。
修行の地という雰囲気。
そして白山社に到着した。
伊豆山神社 白山社
こちらにお招きいただいたことに感謝してお参りさせていただいた。
ただ、ハイキングの親子連れが居て、人がお参りしているというのに、お喋りに夢中になっていて、下らない話を聞かされながらの参拝となってしまった。。。
外国人観光客でさえ、柏手を打てばお参りしているのだと感じ取ってお喋りを止めたりするのになぁとか思ってしまったりしたけれども、まぁ、日本人とか外国人とかカテゴライズする前に、一人の人間としてのあり方として、他人のことを思いやる気持ちが欠けている人々が多いのが問題なのだとは思ったりして。
気を取り直して、本宮に向けて歩みを進めた。
そして公園内を抜けて歩いて行くと、結明神本社が見えてきた。
結明神本社
こちらにお招きいただいたことに感謝してお参りさせていただく。
そして、本宮に向けて更に歩いて行く。
伊豆山神社本宮に到着。
伊豆山神社本宮
到着したのは良いけれども、私が鳥居を潜った時に、丁度親子連れが写真撮影をしていた。
お社の前でジャンプしながら写真を撮るような姿を目にする。
神社を単なる撮影ポイントとしているかのように面白可笑しく写真撮影をしているその様に、憤りを感じてしまう自分が居た。
そして私の姿を見て、次の人が来たからこれで終了ねーなんて言っている姿を見て、何故だかとても悲しい気持ちになってしまった。
そしてその親子連れが去った後に、一人っきりになったので、お社にお参りさせていただいた。
ここからは、私の痛い妄想だと思っていただいて構わないのだけれども、こちらでお参りさせていただくと、なんだか、とても、お疲れのように感じてしまった。
思わず大祓詞を奏上しましょうか、と申し上げたら、般若心経を唱えて欲しいというご要望が聞こえてきたので、般若心経を唱えさせて頂いた。
神様だって、クレクレさんばかり相手にしていたら、それはお疲れになってしまうのだろう。
そんなことを思いながら般若心経を唱えてしばらくすると、観光客がワラワラと本宮に姿を現わした。
逆に般若心経を唱えている間、これだけの観光地で誰も来なかったという事を考えると、不思議な気持ちになってしまったのは、確か。
ちょっと複雑な気持ちになりながらも、本宮を後にした。
帰りは別のルートを降って行った。
途中、名も無い祠が祀られているのを目にする。
殆どの人は気付かないであろうその祠に、祈りを捧げた。
そして伊豆山神社まで戻ってきて、鳥居を潜る。
奉納されたのは、小泉今日子さんということで有名な鳥居らしい。
修験の行者跡などが見られたことは新たな発見だったけれども、やはりちょっとモヤモヤしている部分は残っている。
私がお伺いしたタイミング(=日曜日の昼間)ということもあるのだろうと思うし、そして伊豆山自体、開発されすぎた部分があるのかもしれないと思ったりした。