先週インフルエンザ並みの風邪を引いたので、3連休中はおとなしくしていようかと思っていた。
時間があったので、沢木 興道老師様の『禅談』を読み返していたら、ふとしたセンテンスで目が留まる。
黒い衣に頭陀袋を首にかけた私の姿は乞食みたいです。
鶴見から来て品川で乗り換えて駒澤大学に行くのですが、傍からいろいろのことを言うて私に話をする人がある。組いしやすいと思うのか、どこかの貧乏寺の和尚とでも思うのでしょう。
これだから無銭旅行もできるのです。巡礼と思われて「お気楽ですな」と言われたこともある。時々ルンペンにも見られる。
鶴見と言えば、永平寺と並ぶ曹洞宗の二大本山である総持寺があるところ。
沢木 興道老師様は1935年に總持寺後堂職となり、駒澤大学特任教授も兼任していらっしゃったということで、『禅談』では上記のように、鶴見から駒澤大学への移動の一場面が描かれている。
總持寺にも行きたいなぁと思ってHPをチェックしたら、3月19日~21日まで「禅と心のかたち―總持寺の至宝―旗揚げ展」というものが行われると知り、居ても立っても居られずに總持寺に行ってきたという訳でして。
鶴見駅西口から歩いて10分程度ということだったけれども、私は鶴見というところに来るのが初めてだったので、生活感が漂う駅に降り立つと、果たして本当にここに曹洞宗の二大本山であるお寺があるのかしらん?などとフトドキなことを思ってしまったりした(笑)
スマホの地図で確認しながら歩く事10分程度で、總持寺の入口が見えてきた。
總持寺
何故か大本山とは思えない庶民的な雰囲気を感じたりして。。。
参道を歩くと最初に目に入るのが
三松関(さんしょうかん)
こちらの左側にお地蔵さんがいらっしゃったので、まずはこちらで手を合わせた。
延命地蔵尊
そして三松関を潜り、境内へ歩みを進める。
總持寺境内図を見ると、とても広いことが分かる。
そして三門に差し掛かる。
三門
写真には写らないようにしたのですが、この三門前にお好み焼きやらベビーカステラなどの屋台が数件立ち並んでいた。私が感じた庶民的な雰囲気はこれか、と納得しつつ(笑)三門をお守りされている方にご挨拶して
ふと左手上方を見ると、とても美しい観音様がいらっしゃった。
後ほどお参りさせていただこうと思いながら三門を潜る。
そして、この境内をどう回ろうかと思いあぐねながら歩く。
香積台(総受付)
こちらは拝観・墓地・法要・参拝等の受付や売店があるというところだったので、後ほどお伺いすることにして、人の流れに任せて歩いてみた。
途中、やはり禅寺と思わせるような、ピカピカに磨き上げられた廊下を見ると、自動的に永平寺のことが思い出された。
そして目に飛び込んできたのは仏殿だった。
仏殿
今回「禅と心のかたち―總持寺の至宝―旗揚げ展」は、こちらの仏殿で行われるということで、近くにあったテントに設けられていた受付で入場料(¥500)を支払い、仏殿の中に入ることが出来た(よくよく調べてみたら、一般の人が仏殿に入れるチャンスは年に数回しかないということで、とてもラッキーだったことに後ほど気が付いたりしてー爆)
今回、至宝と言われる数々のお宝を見られたことも嬉しかったのだけれども、間近で中央の須弥壇上にいらっしゃる釈迦牟尼如来様を見られたことがとても大きな喜びだった。
お招き頂いたことに感謝してお参りさせていただくと、とてもありがたいお言葉を頂戴することが出来た。
そして、今回、名宝と言われる中で一番気になったのは「提婆達多像」だった。
提婆達多は釈迦のいとこともいわれ、釈迦について出家するが、釈迦を妬み、悪行を重ねて行きながら地獄に落ちたと伝えられる。その後、釈迦に許され成仏したといわれている。
~「禅と心のかたち―總持寺の至宝―旗揚げ展」チラシより引用
先月お伺いした久遠寺奥之院で引いたおみくじにもこう書かれていた。
釈迦如来の御ためには提婆達多こそ第一の善知識なれ
今の自分の状況に当てはめてみると、それこそ提婆達多やコーカーリヤみたいな輩が回りにはうじゃうじゃしている。
けれども、私が今、こういうものを見させられるということは、それなりに意味があるのだろうと思ったりもした。
提婆達多が、「善知識」になれたのは、釈尊が提婆達多に勝ったからです。もし、釈尊が負けたら、提婆達多は、悪のままです! 勝つということは、正義ということは、法を破るものを消し去るのではなく、彼らをも、善に導くことです。
~法華経の知恵 より引用
私は仏教についてはまだまだ不勉強な部分が大きいので、提婆達多という存在についてあれこれ言えない部分が大きいけれども、今回提婆達多像というものを間近で見て、改めて考えさせられることがあったのは、事実だったりする。
悪人と言われる人も、命を持った一人の人間なんだよね、って。。。
そして仏殿を後にして、放光堂へ。
放光堂
こちらには阿弥陀様がいらっしゃるということで、お招きいただいたことに感謝してお参りさせていただく。
優しい雰囲気の漂う場所だった。
境内を歩くと、桜が少しながらも咲いていた。
今回お御籤を引いたら大吉だったのだけれども、そこに書かれたいた
さびしさに 何とはなくて 来て見れば
うれし桜の 花ざかりかな
というお言葉がぴったりと当てはまるように、境内を歩いていたら自分の心も嬉しい気持ちに一杯になっていた。