明るく未来を示すおみくじ・元三大師様と戸隠神社~戸隠神社奥社参拝

手水舎を後にして、狛犬さん達にご挨拶させていただき

石段を登ると戸隠神社・奥社に到着した。

戸隠神社 奥社

こちらに久方ぶりにお招きいただいたことに感謝してお参りさせていただいた。

私の勉強不足でつい最近気付いたことと言えば、伊勢神宮内宮(皇大神宮)の相殿左方には天手力雄神様がお祀りされていて、相殿右方には栲幡千千姫命様という瓊瓊杵尊の母神様がお祀りされているということだった。

この一週間の間に椿大神社・伊勢神宮・戸隠神社へとお参りさせていただいた。

そして天手力雄神様がお祀りされている戸隠神社奥社、そして相殿に栲幡千千姫命様がお祀りされている椿大神社にお伺いしたということは、何か意味するものがあるのかも知れないと思っている自分が居た。

それこそお導きということで。

そして九頭龍社にお伺いする。

戸隠神社 九頭龍社

こちらにお招きいただいたことに感謝してお参りさせていただいた。

そしてお守り等授与所で御朱印を頂戴し、戸隠神社といえば有名な、神職が祝詞をあげてお御籤の筒を振り出してくれるという、おみくじをお願いした。

おみくじと言えば、元三大師様。

戸隠に前回お伺いしたのが3年程前ということもあって、その頃は本当に勉強不足だったということもあって、元三大師様の存在を存じ上げていなかった。

しかしながら、昨年初めて比叡山にお伺いさせていただき、その聖地感に魅了され何度も比叡山にお伺いさせていただいた。そして元三大師様という偉大なお方の存在を知る事となり、横川の元三大師堂にお参りさせて頂く度に、そのお力に幾度となく救われてきた。

以前戸隠神社が元三大師様と関係があるということを横川の元三大師堂にお伺いした際に、お堂の方から聞いたことがあった。

おみくじ発祥の地は元三大師堂だと言われている。

そして元三大師様に関係する戸隠神社の御御籤は、当たるとか当たらないとか、そういうレベルのものではない。


後ほどお伺いした戸隠神社の中社の授与所で手に取った「あをがき」という戸隠神社発行の広報紙の中にこの戸隠神社の御御籤について書かれたものがあった。

戸隠神社のおみくじは独特な方法で参拝者に手渡される。

授与所の受付でおみくじを希望すると、まずは数え年を尋ねられる。それを受けて、おもむろに神職が祝詞を唱える。その中で、希望者の年齢と、男女の別を戸隠の神様に告げて、おみくじの筒を振りながら、教え導きを仰ぐ、言わば祈祷御籤である、そして筒から出た番号のおみくじを手渡されるのだ。

~中略~

特に円仁がもたらたしたものを、良源(慈恵大師)が観音菩薩に祈念して、一番から百番まで整えたとされる。悪魔降伏など験力の持ち主であった良源は如意輪観音の生まれ変わりであると信じられ、このおみくじは観音籤と名付けられた。主に天台宗の寺院で引かれてきた。

良源は十世紀に活躍した高僧。第十八代天台座主で、天台宗中興の祖とされ、正月三日に亡くなったので元三大師と呼ばれる。降魔大師、角大師とも。

~中略~

本能寺の辺から豊臣の時代を経て、江戸の太平の世が訪れると、徳川家康の側近、天海(慈眼大師)の登場によりおみくじは一気に民衆に浸透していく。それは天海がみた夢のお告げから始まる。

『慈恵慈眼両大師伝記』によれば、天海は常々元三大師に深く帰依していたが、ある夜

「師(元三大師)が夢の中でお告げになるには、信州戸隠山にある観音籤を私の影像の前に置き、信心をこらして占えば、願いに応じて吉凶、禍福を知ることができるであろう。そうして衆生を利益せよ、ということであった。早速戸隠に人を遣わして、ご神前にあった五言四句の占文を竹の札に書き写して筒に納め、経を唱え、ゆすりながら筒の口から出た籤で占ってみると、将来の事が的確に、手に取るように明らかであった」とのこと。

~中略~

天海の夢が示した観音籤が、おみくじ発祥の地とされる比叡山延暦寺、横川の元三大師堂(四季講堂)ではなく戸隠のものであったことは興味深い。元三大師堂では、今の往時のまま「経を唱え、ゆすりながら筒の口から出た籤で」占われている。<経>と<祝詞>の違いこそあれ、神職が祝詞をあげて、おみくじの筒を振るという方法で、戸隠神社に受け継がれているのである。

~戸隠神社発行 あをがき 平成29年〔増刊夏号〕より引用~

↓これは比叡山延暦寺 横川の元三大師堂にあるものです。

比叡山横川元三大師堂2

横川の元三大師堂でお御籤を引くという事は容易ではない。

自分のお願い事(や悩んでいること)をお寺の方に告げて、お御籤の申込をしたとしても、では御御籤を引きましょう、ということにはならず、それに対してお御籤を引くに値するかどうかというものをお堂の方に判断される。

実際断られている人の姿を見たこともあるし、私自身も前回横川の元三大師堂にお伺いした際に元三大師に御指示いただきたいと思ってお御籤をお願いしたけれどもお御籤を受けるということは叶わなかった。

それはこのブログを止めてしまった方が良いのか、それとも続けた方が良いのか、ということ。

自分自身の考えを不特定多数の人々に発信するということは、善いこともあれば、悪いこともある。

その悪いことの方に心捕らわれていた際に、このままブログを続けていくのは果たして良いのかどうかということを元三大師様にお伺いしたいと思って前回訪れた訳だけれども、お堂の方は、私の悩みを丁寧に聞いて下さった上で、そしてお御籤を引くまでも無く、ブログは続けて行きなさいと言われた。

「傷つく」と言うことは、「磨かれている」ということでもあるということをお教えいただけた。

そして元三大師堂だけでは無く、その前後に出会った数多くの人々にもブログは続けて行きなさいという言葉をいただいたこともあり、現在に至っている。

ふと、そんなことを思い出してしまった。

戸隠神社の御御籤は希望すれば誰でも受けることが出来るので、今回私もお御籤を受けた訳だけれども、勿体ない言葉の数々に恐れ入る気持ちの方が大きかった。

此は日の神を信心すべし

天照大御神様。

今回の旅は本当に不思議だ。

意図せず直感でお伺いしたことも不思議だったし

お御籤では、直近で悩んでいたことの答えもズバリを指示していただいた。

あれこれ思い悩まずに、神様や仏様のお導きに全てをお任せすること

その重要さを学ばさせていただけたお参りだった。

スポンサーリンク
スポンサーリンク
スポンサーリンク

シェアする

フォローする

スポンサーリンク
スポンサーリンク
スポンサーリンク
Copy Protected by Chetan's WP-Copyprotect.