結局夜中に目が覚めたまま、横になっても一向に眠れずに朝を迎えた。
窓を開けると、ほのかに白んで行く空に、お月様と星の姿が見えた。
朝5時になったので、清める為に再びお風呂に入らせていただく(宿泊客の入浴は朝5時から可能)誰も居ない早朝の温泉はとても気持ちが良く、まさに清めると言った言葉がぴったりだった。
そして、朝も6時になると鐘の音が聞こえてきた。こちらが本当に神仏混淆の聖地だということを改めて認識する。
前日御祈祷の申し込みをした際に、御日供祭の始まる朝7時の10分前位に拝殿にお越しくださいと案内を受けていたので、6時50分に拝殿へと向かった。
拝殿へ向かう途中に手水があるので、こちらでも清めて
拝殿にお伺いした(拝殿内は写真撮影禁止なので、写真はナシです)
他に宿泊客の方もいらっしゃったので、御日供祭に参列する人も居るのだろうと思いきや、この日の参列者は私一人だけだった。
拝殿内に入ると、色彩豊かな美しい装飾が目に飛び込んできた。そして、独特のお犬様と目が合う。『三峯、いのちの聖地 (MOKU選書)』の巻頭を飾っている写真の中に、このお犬様や拝殿内が写されたものがあるのだけれども、その実物が今自分の目の前にあるのだと思うと、感慨もひとしおだった。
拝殿内は全ての扉が開かれた状態で、今年がいくら暖冬だとは言え、身を切るような寒さだった。一応防寒用にと160デニールのあったかタイツなるものを履いて、そしてコート着用OKということだったので、ダウンコートも着用していたのだけれども、それでも神事が始まる前には、自分の足が氷のように冷たくなって、寒いというより痛いという言葉がぴったりだった。
こんなに寒いのに、神職の方はもちろんコートなど着用しておらず、普通の装束のままだった。中にヒートテックでも着ているのかしらん?とちょっと下世話なことを思ったのは秘密(笑)
7時前になると神職の方より、祝詞奏上の際には頭を下げることや、写真撮影・携帯電話使用禁止などの注意事項を説明いただき、太鼓の音と共に、御日供祭は始まった。
祓詞、大祓詞などが奏上されていることは分かったのだけれども、三峯神社は太鼓を叩きながら般若心経のようなリズムで祝詞を奏上するというスタイルだったので、とてもびっくりしてしまった(強いて言えば『大祓 知恵のことば―CDブック』のCDに収録されているようなカンジです)
ただ、太鼓の音と言うのは、とても祓いの力が強いようで、私も初めて三峯神社にお伺いした後に、悪い物は取り去られていたように感じたのだけれども、この御日供祭が始まって数分すると、風邪もひいていないのに、咳が止まらなくなった。
常日頃気を付けていたつもりだったけれども、結局は日々の生活で溜まっていった穢れのようなものが祓われている感覚というものを、この時ほどひしひしと感じたことは無かった。。。やっぱり御祈祷していただいて良かったと思えた瞬間でもありました。
その後、玉串奉奠をさせていただいたのだけれども、神前の前に立つと、とても鋭い神気を感じた。そして、その神気の前では、ただ感謝の言葉しか出てこなかった。
玉串奉奠を終えて元居た位置に戻る。そしてお犬様を見つめると
「間に合ったね」
と言われた。
神職の方より御祈祷のお札と御眷属拝借のお札を受け取りながらも、内心「すみません、何が間に合ったんですかぁ~~~」と焦りながらお犬様に聞いている自分が居た(笑)
そして無事に神事は終了し、最後に御神酒をいただいてそのまま部屋に戻ったのだけれども、本当に何が間に合ったのだろう?とグルグルと考え込んでしまった。
神事は30分程度で終了したので、その後、7時30分からの朝食をいただくために、朝食会場へ移動。朝食も個室でいただけました。
朝食をいただいた後に、部屋に戻る。
自分でも良く分からないまま、1か月の間に3回も三峯神社にお伺いする形になってしまったけれども、これも、全ては神様のお導きだと思うしかなかったりする。
そして、今回御祈祷と御眷属を拝借したことによって、間に合ったとお犬様がおっしゃられているのだから、何か、大切なことに間に合ったのだと、理屈抜きに御神託として受け止めることにした。