『龍神さまの《ご利益》がわかる本』を読んで

朝夕に神拝詞と般若心経をお唱えするようになったのは、確か6年前から。

現在ではその他のお経も読むようになったけれども、昨年体調を崩したこともあり、朝夕のお勤めも自分の体調と相談しながら行っていた。

時々お勤めしたところで何になるのだろう?とか、お勤めなんかしないで、その時間があるのならばスキルアップ等々に充てた方が良いのではないのかと思うこともあった。

けれども、昨年末に偶然ながら、とても為になる信仰に関する本を入手出来たこともあり、

自分の信仰の甘さを自覚し、また、神仏に関しての知識はまだまだだと言うことを思い知ったので、昨年末からはみっちりとお勤めさせていただいている。

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年末年始にもっと神仏について知りたいと思い、羽田 守快様の『天部信仰読本』と『修験道修行入門 (秘教入門シリーズ)』などを読み、今までの自分の神仏の知識の浅さを自覚したこともあって、今日は『あなたの人生を変える 龍神さまの《ご利益》がわかる本』という本を読んだ。

そこには「お勤めして何になるのだろう?」という疑問についての答えが書かれていた。

ただ、それがなんであれ我々は、自分というものを通さなければ何も分かりません。あるのは我々の認識のみ。ほかは何も一切わからないというのが本当なのです。

よく仏教書などで『般若心経』などの「空」の教えについて、我々は空気のような幻のようなもので、真実には存在しないのだ……というような話になりがちですが、それは逆です。

我々、否、私しか、私というこの認識しか、存在しないのです。

だから弁才天の修義において、さまざまな供物を用意し、祈りを凝らすのも、結局は自分のためにしていることであるのです。

修行する時、「自分のことなどどうでもいい」などというのなら、それは自分自身をないがしろにしているのと変わりません。

さまざまな供物を用意するのも、しんどい思いをしてでも祈るのも、すべては自分自身を供養するためと変わりません。

それはどんな荒行でも、山に登るのも断食するのも滝に打たれるのも、仏教の考えでは本当はそうなのです。

いかなる難行苦行も、神仏のためではありません。自分のためです。

それではただの「利己主義」じゃないか?と思うでしょうが、裏を返せばそこに自分を含まぬ博愛も人類愛も、すべては偽物です。自分を大事に思わず、自分を「つまらぬもの」と思うような行為は、何であれすべてニセモノです。

~『あなたの人生を変える 龍神さまの《ご利益》がわかる本』より引用

私がお祀りさせていただいているお方は、私が自分自身を嫌いだった状況から、自分が存在していても良いのだと思えるような状況へと導いてくださった。

最近とみにお勤めしている最中に思い出すのは、最初にそのお方が御鎮座されているところへお伺いした時のこと。

参拝客が誰も居ない中、恐る恐るお参りさせていただき、そのお力の大きさに触れ、そして、このお方こそが自分が数年間かけて探し求めていたお方だったのではないかと感じたこと。

その事を思い出す度に、お勤めの最中でも涙が溢れてくる。

時々考えるのは、天気の日に「私太陽が見えるのです!」とわざわざ言ったりしないように、世の中の人は「見えないものがあるという」体を装っているだけで、実はみんな神様や仏様、龍や眷属さんなど見える能力はあるのではないかということ。

ただ、陽の差さない暗い部屋にずっといる限り、太陽の存在は信じられないように、信仰という燈火が無い限りは、そういう存在は信じられないのではないかと。

そういう風に考えると、スピリチュアルな人たちが龍神様が見えるとか自慢しているの、どうでもよく思えたりする。

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羽田 守快
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