初心に帰る

永平寺白山神社7

Twitterで呟いてしまったけれども、実は体調を崩していた。

結局は休職と相成り、最終的には転職して現在は新天地で頑張っている訳なのだけれども、体調を崩した大きな要因は仕事のストレスだった。

新天地の職場で受けた講習の中にハラスメントについて、というものがあり、パワハラの項目では「これ前の職場で、ほとんど行われていたことだ」と感じてしまった程の職場だったと言えば、想像がつくのではないでしょうか(笑)

ただ前の職場に居た際には、それがパワハラだとも気付かず、自分の能力の至らなさから、そういった態度を取られているのだと思っていた(←今考えれば、ブラック企業から抜けられない人の典型的思考ですね)

そんな中、ストレスを抱えながらも働いていた訳だけれども、ある朝、全く起き上がれないような状態になり、流石にこれは自分でもおかしいと思い、病院に行ったらドクターストップがかかり、そのまま休職と相成った。

休職中に通院と合わせて高城剛さんのメールマガジンや御本で推奨されていた様々な方法(CS60、CBDオイルやサプリメント摂取など)を試したおかげで、体調はほぼ回復したのだけれども、健康だけが取り柄だったような私が、何故こんな状況に陥ってしまったのかと考えていた。

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そんな想いを抱えながらも、時間が経過した頃、Twitterでタイ上座部仏教の日本人僧侶のプラユキ・ナラテボー様のTweetを拝見した。

このTweetを拝見して甚く感銘を受け、お釈迦様の教えについて学びたいと思い、Kindle Unlimitedを駆使して仏教に関する様々な本を読んだのだけれども、真髄と思えるものは、結局自分の手元にあった書籍に書かれていた。

それは宮崎奕保禅師様について書かれた『坐禅をすれば善き人となる―永平寺宮崎奕保禅師百八歳の生涯』という御本。

善いことを黙って実行するのが、天地自然の法則だ。善いことをして人が褒めてくれないと不服をおこしたり、そういうのは善いことにはならない。黙って実行して、報酬を求めない。今、ボランティアということを言うが、ボランティアというのは、正しいことを黙って実行して報酬を求めないという、仏様の働きのことだ。

お釈迦様の教えというものは、大自然を体として、大自然を心としたいわゆる経験者、それを仏と言うんだ。死んだ人間を仏と言うんじゃない。そして、いわゆる大自然というものは、かえて言うたならば、真理だ。その真理を黙って実行するというのが、大自然だ。誰に褒められたくも思わんし、これだけのことをしたら、これだけの報酬がもらえるということもない。時が来たならば、ちゃんと花が咲き、そして褒められても、褒められんでも、すべきことをして、黙って去っていく。

そういうのが実行であり、教えであり、真理だ。

~『坐禅をすれば善き人となる―永平寺宮崎奕保禅師百八歳の生涯』より引用

私がこのブログのタイトルをキセキレイスタイルというものにしたのは、この書籍に描かれていたキセキレイの姿に甚くインスパイアされたからだった。

またある時、私は、春の永平寺で、人と自然が一体となっているこんな光景を見たこともあった。

その日、永平寺では、春の大法要、授戒会を前に、雲水総出の大掃除が行われていた。雲水たちは、手に雑巾や古新聞を持ち、永平寺の長い回廊の窓ガラスを、一枚一枚ていねいに磨いていた。

その時、私の目にあるものが留まった。永平寺で一番高い場所にある法堂の窓の格子のところに、小さな鳥の巣があったのである。

中をのぞくと、きれいな黄色い毛をしたキセキレイが、卵を温めていた。親鳥が巣を離れたすきにもう一度中をのぞくと、巣の真ん中に白い卵が三つほどあった。

永平寺では、山内のあちこちで、よくキセキレイを見かけた。巣を見つけたこの年は、冬に最初にその姿を発見した。雪がしんしんと降り積もる中、キセキレイは軒下に隠れ、じっと寒さをしのいでいたのである。

その後、春になったばかりの山内で、今度は地面の上でえさをついばむキセキレイの姿を見つけた。しかし、よく見るとえさをついばんでいるのではなかった。その時、キセキレイは、巣の材料となる小枝を集めていたのである。

そのように冬の寒さに耐え、春が訪れたと同時に巣作りを始めたキセキレイが、できあがった巣の中で卵を孵化させようとしている。

その姿を見て、私はふと思った。キセキレイがそのように卵を温める姿と、雲水たちが窓ガラスを磨く姿が、まったく同じものとして感じられたのである。

キセキレイも、雲水も、自分に与えられたことを、一生懸命にただ黙々と行っていた。そして、その姿はどちらもとても美しかった。

~『坐禅をすれば善き人となる―永平寺宮崎奕保禅師百八歳の生涯』より引用

前の会社での出来事を思い出すと心は苦しくなるけれども、それは既に過ぎ去ったことであり、そして、過去に捕らわれていては、結局は前には進めない。

今この瞬間に与えられている物事に真摯に取り組むべきだということ。

久しぶりに宮崎奕保禅師様に関する書物に触れたことにより、このブログを始めた頃の初心を思い返すことが出来た。

そして、お釈迦様の教えの偉大さに、改めて感服するのみだった。

ちゃんと、お釈迦様の伝えられた本物の仏教と言うものを学んで行こうと。

坐禅をすれば善き人となる―永平寺宮崎奕保禅師百八歳の生涯
石川 昌孝
講談社
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