行動するこそが祈り

何を今更というカンジなのかも知れないけれども、最近起業家と言われる方々の発言を読むのにハマっている。きっかけは滝行について調べていた時に、拝神というブログに辿り着いたことだった。

ダメ人間すぎたのて、滝に打たれに行ってきた。 前編

御岳山の宿坊に断食&滝行に行かれたレポートがとても面白くかつ、文章の上手さも相まって他のエントリーも読んだ訳だけれども、この方が自身で会社を起こして経営している起業家の人だと言う事に気付くまでには時間がかからなかった。

その他のエントリーも、考え方に是非はあるのかも知れないけれども、本質をずばっと書かれているその姿勢が頼もしくもあり、そして炎上をも恐れないそのスタンスは、少し羨ましくも感じた。

イスラム教について書かれたエントリーでも、その鋭さは発揮されていて、この文章を読んで思わず溜飲が下がる思いだった。

八百万の神、多神教の日本では、そもそも論として特定の神に祈るということ事態が少ない。せいぜい冠婚葬祭で形式的に祈るくらいか、あるいは真剣になるとしたら、猛烈な腹痛に突然襲われた時くらいが、受験の発表のときくらいだろう。

だが、そんな「久しぶり! むらむらしたから今日、おまえんち泊まりに行って良い?一発やらせてよ笑」みたいな都合の良い女みたいな扱いのノリで、唐突に何かお願いしたところで、やっぱりそれが実効性があるかというと心象的に効果がなさそうのは至極当然のことだろう。

「日本の貧困層を救ってくれるのはイスラームしかないって確信した」 拝神より引用

神社仏閣に御利益だけを求める人々の姿勢なんて、所詮そんなもんだと思えて仕方が無かったと同時に、その言語化能力に改めて感心してしまった訳でして。

現在はブログは更新されていらっしゃらないようなので、twitterをフォローさせていただいた。

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元起業家として有名なけんすうさんの「けんすう日記」も面白い。

GMOを創業した熊谷氏が、浮沈の激しいインターネット業界で、「永続する組織の条件」を語っているのが面白かった(「日経ビジネスオンライン」インタビューより)。

熊谷氏は、会社という組織よりもキリスト教や仏教などの宗教(団体)の方が、長く続いていることに気づき、これらの宗教を研究して、5つの共通項を見つけた。

1.同じものを読んだり歌ったりする(お経や賛美歌など)。
2.定期的に一つの場所に集まる(メッカなどの聖地)。
3.同じ形をとる(手を合わせる形など)。
4.同じものを身につける(キリスト教なら十字架、仏教だと数珠など)。
5.みんなが強く信じている「神話」がある(キリストの受難、釈迦の悟りなど)。

熊谷氏は、「この5つを組織に導入したら、組織は自ら語り出して強くなっていくのではないか」と思ったという。

「永続する組織の条件を宗教に学ぶ」-熊谷正寿GMOインターネット会長|経営ラーニングデザイナー 加藤弘道のブログ

このあたりおもしろいなあ、と思っているのですが、Webコミュニティ作りにも役に立つのではないかと思っています。

「宗教から学ぶWebコミュニティサイトのヒット要因」 けんすう日記より引用

そして家入一真さんは親鸞について語っていたりする。

なんだかんだ僕はインターネットが大好きで、その好きなネットが普及したからこそ出来ることの本質と向き合っていたいんですよね。その本質とは、ありとあらゆることの”民主化”だと思うんです。一部の人や組織に独占されたものを、個人の手に奪いかえす。それこそが民主化であり革命なんじゃないかと。

民主化されてない分野、国内にはまだまだあります。そこをインターネットで切り崩したい。争わず、血も流れない、静かな革命。それを、僕は、優しい革命と呼びたい。

僕にとってのインターネットとは、農民にとっての竹やりであり、親鸞にとっての浄土真宗なんだよな。

「インターネットと親鸞」 ieiri.netより引用

これらの方々の言葉に感銘を受けてしまうということは、私の単純な性格もあるのかも知れないけれども、やはり自ら会社を運営してきて実績を残しているということだけでも、尊敬に値する人々だ。

以前読んだ本にこんな記述があった。

だが、ここに(どの自体にもいたが現代日本で特別に繁茂している)ある種独特の「弱者」がいる。 彼らの社会的評価(学校の成績など)は、結果として平均を越えないが、彼らはけっして「平均」でありたいと願うわけではない。

いままでのところ、あらゆる評価が自分に特別能力がないことを示しているのであるが、それでいて、何の根拠もないのであるが、自分は平均以上で「あるべきだ」という思いを捨てることができない。

さらには、こうしたマイナスの塊がいつか一挙にプラスに転じる原動力になりえないか模索しているのである。

とはいえ、彼らは具体的に何もしない。日夜、布団の中でどうしよう、どうしようと唸っているばかりで、具体的な努力をしない。

彼らは見方によってはえらく聡明なので、激しい自責の念を持つことはない。なぜなら、考えれば考えるほど、このすべての評価に関して、自分が悪いのではないことは明らかだからである。私(俺)にこびりついているおびだたしいマイナス面は、遺伝子ゆえ、劣悪な環境ゆえ、偶然(不運)のゆえである。

~『善人ほど悪い奴はいない ニーチェの人間学 (角川oneテーマ21)』より引用

具体的な努力もせずに、環境のせいにしてしまう人々はスピリチュアルに嵌っているような人に多く見受けられるけれども、結局は行動しなくては何も生まれない。

パワースポットと言われる場所に赴いても、何の変化も起きなかったというのは祈りが足りなかった、とも言える。その「足りない祈り」と言うのは、その場でいただいた気付きを信じずに、行動を起こさなかったこと。

行動するこそが祈りなのではないかと、現在活躍されている起業家と言われる人々の発言を通して改めて実感すると同時に、起業家と言われる人々こそ、目に見えないものを信じて行動している人々なのかも知れない、なんて思ってしまった次第でございます。

現代に於いては、スピリチュアルと言われる人々よりも起業家と言われている人々の方が、よっぽどあやふやでおぼろげな見えない世界を信じているのが面白いところです。

なめらかなお金がめぐる社会。 あるいは、なぜあなたは小さな経済圏で生きるべきなのか、ということ。
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