今回は京都の神社仏閣を回る旅にしようとしていたはずなのに、結局三日間の日程で、初日に京都の仏閣を巡り、そして二日目は京都市内の喧噪に嫌気がさして日吉大社&比叡山延暦寺に行っていた。
この旅の最終日となる日、やはり京都の神社仏閣を回ろうとは全く思えなかったので、京都のホテルを早々にチェックアウトして、奈良に移動。
ノープランのまま奈良に到着し、荷物をコインロッカーに入れて、適当なお店に入り朝食を取りながら、何処に行こうかと思いあぐねていた。
近鉄奈良駅に降り立ったので、そのまま歩いていけば春日大社にも行けるとは思ったけれども、昨年のGWに春日大社にお伺いした際の喧噪を思い出して、この時期に春日大社に再びお伺いしたら、春日大社自体嫌いになっちゃうかも、なんて思ってしまい、今回は断念。
やっぱり、今回お伺いする場所はあちらしかない、と思い、スマホで移動手段などを調べた後、移動したのは吉野だった。
GWの時期には、吉野山・蔵王堂特別拝観券付割引きっぷなるお得な切符が近畿日本鉄道で販売されているので、それをゲットした。この切符は近鉄奈良駅から吉野駅までの往復の電車運賃と金峯山寺の拝観券がセットになって¥500近くお安くなるという、とても太っ腹な切符だったりする。
ただ、特急料金は含まれていないので、近鉄奈良駅の窓口でこちらの切符と吉野までの特急券を求めた。
そして電車に揺られること1時間30分程度で吉野に到着。
これで、吉野に来るのは3年連続となった。それもいつも「国宝仁王門大修理勧進 日本最大 蔵王堂秘仏本尊 特別ご開帳」という、蔵王権現様が御開帳されている時期だったりする。
正直今回も旅のプランニングをする際に、吉野のことが気にならなかったと言えば嘘になる。ただ、方位というものを考えた時に、東京から吉野方面だと南西の方位となって私の今年の吉方位とは違った場所となっていた為、今回お伺いするのは止めておこうと思った場所でもあった訳なんだけれども、京都の喧噪を目の当たりにしたら、吉方位がなんじゃい!私は行きたいところに行くんじゃ!と思ってしまったという部分が大きかったりする(笑)
なので今回吉野に来るのは全く意図していなかったけれども、GWの時期に関西に来たということも、そして、京都を巡ろうと思っていたけれども、あまりの喧噪に逃れるように結局は吉野に来てしまったということ。これは偶然だと言えるのだろうか、と、吉野駅に降り立った時に感じてしまったりして。。。
呼ばれていた、と言えば聞こえはいいのかも知れないけれども、神様や仏様のお呼び出しは、時に自分の想像の範囲を超えたりするので、こういう時間をロスするような旅の形になってしまうのかも知れない、なーんて思っちゃったりした。
そして、ケーブルに乗車するために、ケーブルのりばへ。
そして、いつ切れてもおかしくないと思える程グラグラするケーブルカーに乗車して、吉野山に辿り着く。
参道を歩くと、黒門に差し掛かる。
黒門
ここを潜ると吉野に来た、という気になった。
ただ帰りのフライトの時間を考慮すると吉野に滞在出来る時間はMax4時間というカンジだったので、急ぎ足で金峯山寺を目指す。
金峯山寺 銅の鳥居
こちらは発心門とも呼ばれる場所であり、修験道の行者たちは山上ヶ岳に向かうまでの間に発心・修行・等覚・妙覚の四門を潜り、ひとつ門を潜るごとにここから向こうを冥土と見たてて、俗界を離れて修行する決心を強めていくという、キーとなる門だったりする。
そしてこちらにお伺いしたらお参りせずにはいられない行者堂へ。
行者堂
今年もこちらにお招きいただいたことに感謝してお参りさせていただいた。
やっぱり、私は京都ではんなりと神社仏閣を優雅に巡るということよりも、自分の足でしっかりと歩いてお山にいらっしゃる神様や仏様にお会いすることの方がしっくり来るなぁと思った場所でもあった。
そして1年ぶりとなる金峯山寺へ。
金峯山寺 山門
金峯山寺 山門の右脇には脳天大神様へと続く参道があるけれども、まずは金峯山寺にお参りするために山門を潜る。
金峯山寺
そして金峯山寺に到着した。
するとほら貝の音が鳴り響き、金峯山寺からお坊さんたちが退出している場面に遭遇した。
この日は5月7日。
実は毎月7日というのは本来は役行者のご縁日。大宝元年(701)6月7日、箕面天上ヶ岳より昇天されたと役行者伝には伝える由緒による。ただし金峯山寺ではこの7日は役行者さまご自身ではなく、役行者ご感得のご本尊・蔵王権現さまをご供養申し上げているのである。
全く意図していなかった金峯山寺への訪問が、役行者のご縁日だと知る。。。
お堂にお参りする前に、この日が大切な日だったということを、お坊様のお姿を拝見して知る事となり、ある種驚愕している自分が居た。
そして例年通りエコバックとお札をいただきお堂の中に入る。今年も、蔵王権現様のお姿を拝見させていただくことが出来た。
私はなんと幸せなんだろうと思いつつ、発露の間でも蔵王権現様に祈りを捧げた。
本当に、ここは、すごい場所。
蔵王権現様のお姿を拝見しているだけで、やはり悲しくもないのに、涙がとめどなく溢れて来た。
そして1年間お守り頂いたことや、いつも見守ってくださることに感謝した。
そしてお堂の中の仏様にご挨拶申し上げ、お堂の中で上映されていた金峯山寺の修行の様子を収めたDVDなどを見た。
法話が13:00から行われるということだったけれども、時間が無かったので泣く泣くパスして、そのかわりに『蔵王権現入門』という本と『信仰の手引きー蔵王権現さまとともにー』という本を購入した。
そしてお堂を後にして御朱印を受け、観音堂&愛染堂でもお参りをさせていただきこちらでも御朱印を受ける。
そして天満宮へ。
威徳天満宮
この神社は、天満神社ともいい、菅原道真を祭神としています。社伝によると、平安時代の天徳三年九月五日に鎮座したとされています。
この神社の由来は、今から千年あまり昔、椿山寺(竹林院の前身)で出家した日蔵道
賢(如意輪寺の開基)という僧が、大峯山中の笙の窟というところで修行中のある日 、急に仮死して閻魔宮へ行ってしまい、そこで冥土をさまよっている天子の衣服を着 けた人に出会ったので、わけをきくと「自分は延喜の帝(醍醐天皇)である。生前は善政を行ったつもりだが、ただ藤原時平の告げ口によって、菅原道真を九州の 太宰府へ流してしまった。その罪によって死後の苦しみに会っている。生前、私が師と仰いだ上人よ。再び生き返って道真の霊をまつって欲しい。そうしたら私はこの苦しみから救われるだろう。」といわれたと思うと、日蔵はこの 世によみがえりました。 日蔵上人は修行を終えると吉野山へ帰り、威徳天満宮としてまつったのが、この社殿
であると伝えています。 この社殿は桃山時代の様式をよく伝えているので、豊臣秀頼の改修によるものと云わ
れています。 現社殿は、平成十年九月に当地を襲った台風七号により大被害を受けましたが、平成
十三年に多くの方々のご助力により復旧したものです。
と書かれていた。
こちらにお招きいただいたことに感謝してお参りさせていただき、そして、いよいよ行かなくてはならない場所を目指して歩き始めた。