『日本人はなぜ狐を信仰するのか』を読んだ

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photo credit: St Stev via photopin cc

東京というのは、『火事 喧嘩 伊勢屋 稲荷に犬の糞』と言われる程、お稲荷さんを祀っているところが多い。確かに先日伺った都内の神社仏閣三か所全てに、お稲荷さんが祀られていたし、家の近所にもお稲荷さんが多い。近所を散歩していると、大きな家のお庭には、お稲荷さんがお祀りされていたりする。

しかしながら、お稲荷さんというのは、「祟られる」とか、「願いを叶える力は強いけれども、その分見返りを要求される」等々ネガティブな情報があふれかえっている。私も神社仏閣めぐりを始めた際には、お稲荷さんがいるところは避けていたけれども、この頃はお稲荷さんでも良いと感じたところは、ちょくちょくお参りに行くようになった。

気付いたのは、ネットなどで稲荷信仰がダメって言っているのは、いわゆる新興宗教的な雰囲気のする人々や団体。私と以前付き合いのあった自称霊能者もお稲荷さんは苦手と言っていたけれど、まぁ、私が苦手なそういう人たちが、そういうことを言うのならば、それらの意見は無視して、自分で調べなくちゃいけないんだよなぁ、と。

なので今、お稲荷さんについて書かれている本を読みまくっている。『日本人はなぜ狐を信仰するのか (講談社現代新書)』という本も読んだ。この本はタイトルだと、稲荷信仰について書かれているようなカンジだれども、著者の「西欧神秘哲学研究家」という肩書通りに、お稲荷さんよりもそれに付随するものに対して、著者独自の解釈をカバラやタロットカードの意味などと交えて、述べられているものが多かった。

著者自身が、この本の内容について説明している箇所から引用すると

アヌビスに通底する働きを持った日本の稲荷狐は、基本的には、人とそうでないもののつなぎ、あるいは門の機能だが、かなり多層的な性質があるといわざるを得ない。本書では次のような内容を説明してきた。

  1. 狐は自然界=母の国への導きである。安倍清明の母、葛の葉狐の伝承。
  2. 狐は死の領域への道案内である。中沢新一によると、稲荷のあるところ、たいてい墓所でもあった。
  3. 神道系では、穀物神であり、富をもたらす。秦氏の展開した商売においての守り神である。
  4. 宝珠をくわえた霊狐は、修行者への知恵をもたらす。
  5. 稲荷神社に祀られたサルタヒコの関連で、異なる領域のものを持ち込む越境の神。わたりをつける。
  6. 巫女と一体化して、妖術や呪術、性的な神儀に関与する。
  7. 通常の女性的なアイドルのような扱いも受けている。
  8. 原始宗教的稲荷においては、土地の力ゲニウス・ロキあるいは土地神のブースターとして活用され、たいていこれは万能な役割を与えられている。
  9. 狐憑きは、神様との仲介者として、預言をする。
  10. 管狐は、人を惑わすが、また物質的なご利益ももたらす。
  11. 仏教系稲荷では、女性力としてのシャクティが昇華され、女神として働くダキニの力を運んでくる。
  12. カバラの図式で推理すると、生命力のリミッターをはずして、強力な推進力や達成力を与える。
  13. エジプトのアヌビスと共通している狐は、死後の世界への導きとなる。
  14. 精神と物質の間の接続をする。狐あるいはアヌビスは、思いを形にし、また形に縛られた心を解放する方向の橋渡しをする。
  15. 玉藻前の伝説のように、この精神と物質の行き来が行き過ぎると、欲望にとらわれ、悪念に幽閉される。しかし極端に行けば良くほど、逆転も起きやすい。
  16. 狐とアヌビス、ガブリエルという関連では、過去に忘れた罪なども思いださせる。因果を明確にする。
  17. 秦氏の稲荷縁起から考えると、自分を世界に結びつけ、その環境の中で生きる道を作る。
  18. 猿女やエジプトのアヌビスの神官たちの関連で、魔除けなどにもかかわる。衣服ということに、大きな関わりがある。

~日本人はなぜ狐を信仰するのか (講談社現代新書) より引用

全部をまとめて一言で言うならば稲荷狐とは「異界との接点」ということになるのだろう、と書かれていたのだけれど、結局私の疑問(=稲荷信仰は危険なのか?)は疑問のままだった。

しいて言えばこの部分が答えなのかも知れないけれど。

祟りがあるという話の真偽を問うのはあまり意味がないようにも思える。すべては気のせいですと考えたにしても、わたしたちの心の中にある狐という集団的な記憶の持つ記号が、わたしたち自身に与える作用もあるだろうし、それに抵抗出来る人は少ないと思う。

また、狐というと、すぐに低劣で動物的な思いに支配されるというイメージで拒否感を持つ人も出てくる。これは本来日本人の性質としては自然な感情ではなく、外来の感情が未消化のまま残っている結果ではないかと思う。

~中略~

だから、狐ということで即座に出てくる拒否感や蔑視の感情は、むしろそう思うことそのもののほうが間違いという気もしてくるのである。

~日本人はなぜ狐を信仰するのか (講談社現代新書) より引用

ちなみに著者の方は本の中で「お稲荷さんへ行こう」と勧めていらっしゃいました(笑)

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