アイドルだからとか、そういう偏見無しに読んでほしい~『ココロのはなし』

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『ココロのはなし』という本を読んだ。

2年前まで堂本剛さんという方は、アイドルと呼ばれるヒトなので、正直、興味は無かった。

ただ、神社仏閣めぐりをする中で、とある宿に宿泊した際に、以前そこに堂本さんが宿泊された、という話を伺った。そして堂本さんがとても良い人だという話を聞いたり、彼のDVDを見せて貰って感動したこともあって、ちょっぴりファンになった。彼の情報をすかさずチェックするといった熱狂的なファンではないけれど、たまに彼の音楽を聴いてほのぼのするような、そんなカンジ(笑)

この本も堂本さんの本だから、というよりは、鍼灸師の若林理沙さんが 武術家・甲野善紀氏に15年来師事されていた、ということを知り、甲野善紀さんの本を探していて、たどり着いた。

NHK BSプレミアムにて不定期放送中の『堂本剛のココロ見』が待望の書籍化!

刀匠や桜守、登山家など、さまざまな世界で道を極める賢人たちとの対話6編を厳選し、収録しています。温かく包みこんでくれたり、ハッとさせられたり、堂本剛が独特の感性で導き出す、豊かに生きるための珠玉の言葉が満載の一冊。

気負わず読んでも面白い、未来に向かって生きるためのヒントがスーッとココロに沁みてくる対談集です。

番組では語られることのなかった未公開の話や、堂本剛の対談後記にロングインタビューなども収録!

~Amazon 商品紹介より引用

Amazonの商品紹介を見ると、アイドル本の一種なのかしらん?なんて印象を受けてしまうけれど、ところがどっこい、本当の言葉がありとあらゆるページに溢れている本だった。

ただ、何をキャッチできるかは、読み手次第。

読み手にこれらの言葉を受け止める力が無ければ、ただ単に通り過ぎてしまうような、不思議な本です。

・ 塩沼亮潤×堂本剛「今」のはなし
・ 竹内洋岳×堂本剛「運」のはなし
・ 狐野扶実子×堂本剛「命」のはなし
・ 佐野藤右衛門×堂本剛「ふるさと」のはなし
・ 河内國平×堂本剛「自分」のはなし
・ 甲野善紀×堂本剛「精神」のはなし

と様々な分野の賢人の皆さんとの対話などが収められています。

気になった言葉を幾つかピックアップ。

塩沼亮潤×堂本剛「今」のはなし

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photo credit: snakecats via photopin cc

ここには、1,300年の間にたった二人しか成し遂げられなかった荒行を達成した、大阿闍梨・塩沼亮潤氏との対談が収められていた。

音楽の話や、十代の頃の話などの後に、塩沼氏の修行の話へと進んでいくのだけれど、その中でも、印象に残ったのは、この会話だった。

堂本:人間ってやっぱり行き着くところまで行くと、幻想だとわかるものが見えたりとか?

塩沼:幻聴や幻覚のようなものは、行の初めの頃よくありました。ものすごく怖いものを見る時期があり、次に仏様などが見え、最後の頃は何も見えなくなりました。

堂本:何も見えない……。

塩沼:はい、そういうものが見えるようになるために修行をするのではなく、人として大切な何かを求めるために行があるので、そういう魔境にとらわれず、悟りを求めなければならないんです。

堂本:なるほど。

また、以前テレビで堂本さんを見た時に、この人ってシャーマンっぽいなぁと思ったが(→ミュージシャンはシャーマンという記事にもしたけれど)、これを読んで、ホントこの人マジでシャーマンじゃん(爆)と思った。

堂本:先入観なくその人の表現やメッセージを受け止めるってすごくいいことだなと思いますね。仏教でもお経を唱えられるじゃないですか。

塩沼:はい。

堂本:音楽って、自分が思っていた以上に「神仏」っていうんですかね。自分が生きている、生きていく、死んでいくっていう、いろんなこととものすごくリンクしていると思って。歌もやっぱり一緒で、目の前に居るお客様、でもその先にあるもので、自分自身に対して、でもその自分自身の奥深くにあるものを振るわせるために、そこに捧げるってことは一緒なので。なんかその……神社でいえば祝詞とか、巫女さんが舞を踊ることとか。仏様にお経を読んだり、お供え物したり、護摩木を焚いたり、ひとつひとつ捧げていくっていうことが、自分の奥深くのものを震わせるっていうんですかね。そういう時間や感覚っていうのは、失礼かもしれへんけど、ものすごく一緒なところにある瞬間が多いんですよね。

塩沼:音を楽しむと書きますが、まさに何も考えずにただひたすらにという感じですね。

竹内洋岳×堂本剛「運」のはなし

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photo credit: MikeBehnken via photopin cc

ここでは、プロ登山家の竹内洋岳氏との対談が収められている。竹内氏は2007年に雪崩に巻き込まれて、腰椎破損骨折の重傷を負ったけれども、奇跡的に生還し、1年後には世界で29人目で日本人初の8000メートル峰全14座の登頂者となったという方。

登山家の方との対談だけあって、登山の話がメインだった。けれども、山に登るということが、人生にも例えられることも多いように、この対談は、登山の話であるけれども、人生についての話であるような、そんな感覚を覚えた。

例えば、運について。

堂本:「運」という言葉もそうですけど、その答えってやっぱり出せないものだと思うんですよね。それで僕がたまに考えることがあって。人間はなぜ寝るんだろうっていうことをよく考えるんです。眠いから寝るんですけど。もしかしたら、命がいつか消えるときの、その準備をしているような気もする。

竹内:なるほど。それは面白い考えですね。

堂本:天井を見つめて目を閉じる。その目を閉じるときに、家族だったり、すべてのものに対して感謝をして、一日をどれだけ終えられるか。僕は朝起きたときも寝るときもそうなんですけれども、感謝するってことをナチュラルにやるようにしているんですね。特に重たくもなく軽くもなく。呼吸するかのように、素直な感覚でやるようにしているんです。

竹内:その寝る話は面白いですね。確かに私も、雪崩でダメかってときに、なんか寝ちゃおうかな、みたいな感じだったから、おっしゃる通りですね。

堂本:やっぱり「運」というのは人が考えたもので、たとえば恐怖だったり悲しみだったりを克服するためや、何か答えを導き出すために用意された言葉なのかなって。

竹内:そうかもしれませんね。

狐野扶実子×堂本剛「命」のはなし

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photo credit: yoppy via photopin cc

ここでは、パリの三ツ星レストラン「アルページュ」の副料理長を務めた後、パリを拠点に出張料理人として独立し、その後「フォション」のエグゼクティヴ・シェフを経て料理プロデューサーとして活躍されている狐野扶実子氏との対談が収められている。

狐野氏も堂本さんも、お二人とも共通していたのが、様々なタイミングや縁が重なって、現在の場所に居るということ。料理人やミュージシャンになりたいので、がむしゃらに頑張りました!という雰囲気が感じられず、自然に流れに任せていたら、今居る場所に居たというカンジ。それは努力しない、といったネガティブなものではなく、ある種「お役目を全うする」というイメージに近いものを感じた。

ここでも「運」について話されていた。

堂本:さまざまなタイミングというものを紡いで、一本のラインに作り上げてきたようなイメージがお話を伺っていてあるんですが、ご自身の中で「運」というものについて、どう考えていらっしゃいますか?

狐野:もし「運」というものがあるなら。私は川の流れに身を委ねて流れていて、そこに流れてきた木の枝を、あるときは溺れそうになりながら掴んでいるっていう、そういうようなイメージですね。「やらなければならないこと」と「やりたいこと」、二つをやっていたら、自然と扉が開いていくような、そんな感じがします。

堂本:僕も自分自身のたとえとして、湖の淡水の水面という表現をいつもするんです。いわゆる流れがあるわけではないんですけれども、時間を過ごしていて、風が吹くと水面が揺れますし、雨が降ると水面が弾けますし、冷えると氷が張ったりそれがまた溶けたりする。そういうことを繰り返すのが水面じゃないですか。自分自身は変わらないけれど、周りの環境が変わるので、自分も変わらざるを得ない。僕自身はいつも水面のように理由があるので、変わり続けているんですけれど。でもたしかに、先ほどおっしゃった、「やらなければならないこと」というのがすべてを語っているような気はしますね。自分自身に甘えを持つのではなくて、一度きりの人生で一つの命を使いながら、自分が「やらなければならないこと」を着実にやる。そうすることによって「やりたいこと」が鮮明に見えてくるっていうか。

狐野:そうですよね。

堂本:本当に「やりたいこと」が見つかるということは、イコール「運」や「運命」、「命」というものがサイクルしていく、転がっていくようなイメージで、前進していけるのかなって。

佐野藤右衛門×堂本剛「ふるさと」のはなし

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photo credit: (^^)Teraon via photopin cc

ここでは、祖父である第14代藤右衛門が始めた日本全国のサクラの保存活動を継承し、「桜守」としても知られる日本の造園家、作庭家である佐野藤右衛門氏との対談が収められていた。

この章は読んでいて楽しかった。恐らく佐野氏は最初は堂本さんのことを宜しく思っていなかったのでは?と思われるような口調だったのが、堂本さんと話を進めていくうちに、佐野氏がどんどん堂本さんのことを気に入って行く様子がありありと読み取れた(笑)

この本の最初に堂本さんの写真と言葉があるのだけれど、その中の一つに

相手のことをすべて知るのは難しい
でも理解しようとする努力は
本気で思っていれば出てくるもの
だから、きちんと向き合おう

と書かれている。

この言葉通りのことを実践して、素敵な対談になったんだなぁ、と思った。

佐野:あんたの場合やったら、奈良という日本文化のものすごいものを持っているわけや。それをこれからうまく組み合わせていくのが、あんたの仕事や思うわ。

堂本:そうですよね。だから、日本の勉強や奈良の勉強、京都の勉強もするようになりました。今、僕は人に向けて歌っていますけど、昔は豊作を願ったり、そういうところから楽器を鳴らしたり、歌ったり、踊ったりって始まって、それが仏さん、神さんに向かってって、最終的に人に向かって音楽っていうものが枝分かれしてきているところに、僕はいるんだなと思って。勉強していくと、雅楽とかああいう音階は外国にはないし素晴らしいと思うんですけど、古くさいとかダサいっていう人はやっぱり若い世代の中にはいるとは思うんですよ。でも、これは日本の音楽だってわかってもらえるような努力はいつもしていて、言葉に書いてみたり、楽譜に書いたりしてるんです。奈良で生まれたから、どうしてもそういう気持ちになってしまうなあなんて思うんですよね。さっき佐野さんがジャズっておっしゃってましたけど、もし僕がジャズをやっていたとしても、奈良はじわじわ出ちゃうのでね。どんなジャンルをやっても、西洋音楽に憧れたとしても。それは自分にとってはいいことだなと。

佐野:いやぁ~、あんた素晴らしい子やわ!そこまで深いもの、持っていんねや。

堂本:いえ、そんな褒めんといてくださいよ。

佐野:まだまだ、日本も捨てたもんやないな。

堂本:そう言ってもらえたら、すごいうれしいですけど。

佐野:今の人はやっぱり飢えているわけやねん。もうガチガチの生活をして、一生懸命何かを求めて時間に追い回されているわね。どんな人でも精神的にヘトヘトになってるわけ。

堂本:そうですよね。

佐野:あんたがたは、癒し、潤いを与える仕事やと思うんやわ。それっちゅうのは、自分のいわゆるふるさと、心のふるさとやわな。それを自分で作って、今の音に表現していけばええのん違うの?わしはそう思うけどな。

河内國平×堂本剛「自分」のはなし

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photo credit: hawk684 via photopin cc

ここでは、奈良県無形文化財保持者で刀匠である河内國平氏との対談が収められていた。河内氏は伊勢神宮第61・62回式年遷宮太刀ならびに鉾の制作を担当されたという方で、最近では2014年6月に「不可能とされた名刀の地紋再現に成功 奈良・吉野の刀匠、刀剣界最高賞を受賞」とニュースでお名前をご存知の方も多いかと思います。

なので、ガチガチの巨匠なのかしらん?と思ったけれども、本を読んでいたら、河内氏の言葉からは「温もり」というものをひしひしと感じたのでした。

河内:僕、大阪弁で非常にいい言葉があるなと思うのは、「あほになる」ちゅうことや。

堂本:「あほになる」

河内:こんな楽なことはないで。

堂本:アハハハ、そうですね。

河内:ほんまに。それはね、結局は「無」なんや。

堂本:あ、結局は「無」だと?

河内:と思うで。そやけど、その言葉、僕は使いたくない。難しいわ、「無」なんて。誰でも難しいて。違うなあ、あほになんねん。これ、「ばか」ちゃうで。大阪弁の「あほ」というのは、いい言葉や。

堂本:はい。いい言葉ですよね。

河内:「あ」いうたら、平仮名の「あ」は「安」という字からできていて、「ほ」は「保」やんか。だから、「安心を保つ」みたいなもんや、あほというのは。日々の生活の中で、ときどきパっとあほになれたら、ものすごく暮らしやすいで。

堂本:なるほど。パっと、ときには「あほ」になって。

河内:難しいこと考えたらあかん。簡単な例を言うたらな、朝起きるときから、それやねん。「ああ、眠たいな、寝てたいな起きならんか」と思わんとくねん。「あほ」になって、なんにも考えやんとふっと起きんねん。楽やで。

堂本:アハハハ。

甲野善紀×堂本剛「精神」のはなし

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photo credit: paazio via photopin cc

ここでは、鍼灸師の若林理沙さんが 15年来師事されていたという武術家・甲野善紀氏との対談が収められていた。甲野氏は『るろうに剣心―明治剣客浪漫譚―語録〈ヴィジュアル版〉 (集英社新書)』の解説を書かれていたり、古武術に関する著書を多数出されている方とのこと。

「自分」というものについて語っている部分が非常に印象に残った。

堂本:今って、「自分」というものを持つことがすごく難しい時代でもあると思うんですね。何か段取りがあって世の中にあって、こう言っといたほうが無難とか、整列させられるようなイメージで、オリジナリティーをちょっとだけ出すぶんにはいいけど、そこは外れるなよ!みたいな、自分というものを出しづらいところがあると思うんです。そういう中で、甲野さんは「自分」というものをどんなふうにとらえていらっしゃいますか?

甲野:私は「人間の運命は決まっていて自由だ」ということを21歳のときに気づいたんです。それはもう悟ったに近いくらいの実感があったので、今後は生涯かけてこれを感覚レベル、感情レベルでも確かにしようと。それで武術を始めたんです。なぜならば、どうせ運命が決まっているんだといったって、打たれそうになったら何とかしようとするじゃないですか、攻撃されたら動かざるを得ないでしょう。その動いている自分というのが、動いているのか、動かされているのか、いったい何なのか?ということを見つめたいと思ったんです。

堂本:へぇー。

甲野:だから「自分」とは、自分がやることと、やらされていることが一つになっている、いわく言いがたい世界で、それを実感するには武術が一番向いていると思ったのです。

堂本:「自分」という世界……。

甲野:そう。この「人間の運命は決まっていて同時に自由だ」という私の確信は、以前一緒に本を出した漫画家の井上雄彦さんが宮本武蔵を主人公にした『バガボンド』の中で沢庵和尚に言わせていますね。

堂本:うわー、面白いですね。やっぱり自分がやっているんだという実感とか、やらされているにしても、何か理由というか答えが欲しかったりするじゃないですか。でもその双方というか。

甲野:つまり、一枚の紙に、表は全部予定が書いてあるけれど、裏は真っ白で、それが同時にそこに存在しているということ。決まっていることと、自分が自由にやっていることは、言葉で言えば矛盾しますけれど、感覚的には矛盾しないところを目指しているんです。

堂本:ああ、すごくわかります。

まとめ

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感想をサラっと書こうと思っただけなのに、結局いい言葉が多すぎて、やけに長くなってしまいました(爆)

佐野藤右衛門氏も堂本さんのことを大絶賛していて、40歳になったら不動になるっておっしゃっていたけれど、堂本さんってこの若さなのに、本当にいろいろなことを知っているし、感じ取る力もすごいなぁと思ってしまいました。

今年読んだ中でも5本の指に入るくらい良い本でした。

映像でも見てみたいなぁ。。。

ココロのはなし (単行本)

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