『体を使って心をおさめる 修験道入門』を読みました

修験道入門

先月金峯山寺にお伺いしてから、修験道関連の本を読み漁っていた。先日『体を使って心をおさめる 修験道入門 (集英社新書)』という本が発売されるということで、アマゾンで予約して、今日、本が届いたので読んでみた。

著者は金峯山修験本宗宗務総長・金峯山寺執行長でいらっしゃる田中利典氏。修験道入門という本なので、修験道とは何ぞや?というところから丁寧に分かりやすく説明してあった。

修験道は神仏和合の宗教

例えば、修験道の定義として挙げられていた「神仏和合の宗教」というところでは

修験道は、もともとは自然や山岳を畏れ敬うといった信仰風土に、仏教的行法が入って成立したものです。さらには、中国の道教や陰陽道などさまざまな外来の要素も吸収され、やがて庶民のあいだでひろく行われた加持祈祷などが加わっていきました。

ということで、修験道は、神も仏も礼拝するものとして説明されていた。

修験道の本尊 蔵王権現

金剛蔵王権現さまについても説明があり、

蔵王権現の恐ろしい姿は、悪世に生きる心の曲がった人々に対して、厳しく指導し、魔を紛糾するものです。衆生を強く救済するために現れた姿なのです。

等々詳しく書かれています。

ちなみに金剛峰寺で頒布されている、蔵王権現さまや役行者さまの御影もこの本には載っています。

吉野の桜について

先月奈良に行ったのですが、桜のシーズンの吉野山の混雑ぶりは半端ではないということで、当初は金峯山寺にはお伺いする予定ではありませんでした。

けれども、導かれるような格好で、吉野山に行って見た桜は極楽に居るかのような美しさで、人が多くても吉野山の桜を見られて良かったと思っています。

吉野山の桜がきわだっているのは、観光地や名所にしようとして植えられたものではないという点です。すべて蔵王権現に献木されたお供えの「生きた花」なのです。
~中略~
役行者は「桜は蔵王権現の神木だから切ってはならぬ」と里人に諭されたので、吉野にあっては、古い時代から「桜は枯枝さえも焚火にすると罰があたる」といって大切にされてきたのです。

これを読んで、吉野山で見た、桜の枝をブンブン振って、桜の花びらを無理やり舞い散らせて二人のツーショット写真を撮っていた外国人カップルの行動を思いだした。

バチ当たるんでしょうね。。。

東大寺 二月堂との関わり

東大寺~不動堂etc の記事にも東大寺と吉野山の修験道との間には、関わりがあったらしい、という事は書いたけれど、それがこの本にはきちんと書かれていたので、ちょっとスッキリした。

奈良・東大寺の二月堂では千二百五十余年の昔から、毎年三月一日から十四日まで「修二会・お水取り」という行事が行われています。
その際に一万三千七百余座という全国の神様の名前を書いた神名帳を読み上げて、修二会の場に全国の神々を招請するのです。その神名帳の第一番に読み上げられるのが金峯大菩薩です。この金峯大菩薩とは、金峯山寺の蔵王権現のことなのです。

 魔・邪気をはらう

「山伏ってなにするの?」ということで、具体的に山伏の方がされる行について書かれているのですが、特に「魔・邪気をはらう」という項目については、まさしくその通りですよね、と。
まぁ、一回金峯山寺に行ってみると良いですよね。そういうの気になる人は。

山修行で得られるもの

大峯奥駈修行の参加者の感想が多く書かれていました。それを読むと、修行すると人間そんなに変わるものなのか?と思ってしまったりしましたが、一度やってみたいものではあります。

女性でも「女性のための体験修行」というのがあるので、それに参加してみたいなーナンテ思ったりもしましたが、以前吉田さらささんの金峯山寺の修行体験エッセイを読んだときに、吉田さんの体力の無さ&足の遅さで、他の修行の人の足を引っ張ってしまった、的な事が書いてあったので私には無理かな~。

確かに金峯山寺のHPで「女性のための体験修行」の募集要項を見ても、参加条件に「健脚」と書かれているので、私は健脚になるまで、当分の間は自粛します(笑)

失ったぶんだけ希望を手にする

最後に、現代社会と修験の心ということで、著者自身の考えが書かれていました。そこで、3.11後にニューヨークタイムズに掲載された村上龍さんのエッセイについて触れられていて、そこでなにが希望なのか、そして何を取り戻していくべきなのか、根本から真摯に問い直すべき時を迎えていると述べられていました。

修験道の本を読んでいて、村上龍さんの名前を目にするとは思わなかったので、びっくりしたのと、あの時、3.11以後、誰かの声を必要としていた時、真っ先に声を出したのが村上龍さんだということを思いだした。不安に打ち震えている時に、誰かが声をあげて励ましてくれている、という事自体が希望だと感じた。

私が10年前に書いた小説には、中学生が国会でスピーチする場面がある。「この国には何でもある。本当にいろいろなものがあります。だが、希望だけがない」と。

今は逆のことが起きている。避難所では食料、水、薬品不足が深刻化している。東京も物や電力が不足している。生活そのものが脅かされており、政府や電力会社は対応が遅れている。

だが、全てを失った日本が得たものは、希望だ。大地震と津波は、私たちの仲間と資源を根こそぎ奪っていった。だが、富に心を奪われていた我々のなかに希望の種を植え付けた。だから私は信じていく。

~Timeout Tokyo 危機的状況の中の希望 村上龍より引用

田中利典氏の言っている「修験道ルネッサンス」

大切な自分らしい生き方および神と仏と風土とを取り戻す

これも田中氏が声をあげて、人々の希望の種を育てていく、一つの方法なんじゃないかって、ふと思ったりしたのでした。

おまけ

今年(2014年)の7月には「紀伊山地の霊場と参詣道」の一部として世界遺産登録されてから、10周年を迎えるということで、東京でも「吉野大峯世界遺産登録10周年記念連続講演会in東京」や日本橋三越で「奈良吉野路観光と物産フェア」なども予定されています。

まずこの本を読んで、講演会や物産フェアなどで雰囲気に触れて、実際に吉野山に行ってみるのも良いかもしれませんね。


<追記>
著者である田中様より、Twitterでこの記事をご紹介いただきました。恐縮です。。。

Tanaka-sama

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