一霊四魂を踏まえて『豊饒の海』を読む

最近、三島由紀夫の作品を読み直している。
三島由紀夫の作品の中でも特に好きなのが『豊饒の海』の一連の作品群。
十代で読んだときには、自分の中に神道や仏教の基本的知識が全くなかったので、ただストーリーをなぞらえるだけだったけれど、今になって読みかえすと、また新たな発見があったりする。特に神社仏閣好きになってからというもの。

そもそもこの『豊饒の海』の一連の作品が、「一霊四魂」を踏まえて書かれているという事すら知らなかった。

ちなみに「一霊四魂」というのは、神道の教義で、神や人間の霊魂は一つの霊と四つの魂から成るとするものがあり、 一霊は「直霊(なおひ)」で、四魂は「荒魂・和魂・奇魂・幸魂」と言われている。

● 勇 - 荒魂(あらみたま)「勇」は荒魂の機能であり、前に進む力である。勇猛に前に進むだけではなく、耐え忍びコツコツとやっていく力でもある。その機能は、「勇」という1字で表される。行動力があり、外向性の強い人は荒魂といえる。

● 親 - 和魂(にぎみたま)2つ目の魂の機能は和魂であり、親しみ交わるという力である。その機能は、1字で表現すれば「親」である。平和や調和を望み親和力の強い人は和魂が強い。

● 愛 - 幸魂(さちみたま)(さきみたまとも呼ばれる)3つ目の魂は幸魂であり、その機能は人を愛し育てる力である。これは、「愛」という1字で表される。思いやりや感情を大切にし、相互理解を計ろうとする人は幸魂が強い人である。

● 智 - 奇魂(くしみたま)4つ目は奇魂であり、この機能は観察力、分析力、理解力などから構成される知性である。真理を求めて探究する人は、奇魂が強いといえる。
~Wikiより引用

これを念頭に置き本を読むと、また別の視点でストーリーが楽しめた。

春の雪

▼春の雪―豊饒の海・第一巻 (新潮文庫)

*第一巻の『春の雪』は「たわやめぶり(手弱女ぶり)」あるいは「和魂」を表している。

新潮社 1969年(昭和44)1月5日 初版
三島由紀夫のライフ・ワークともいうべき「豊饒の海」第1巻。

大正初期、治典王殿下との婚約が決まった綾倉聡子と松枝清顕との悲恋を描く。清顕の子を宿した聡子は、堕胎したのち奈良の月修寺で出家。清顕は聡子に会うことが出来ぬまま、滝の下での再会を友人の本多に約して死ぬ。王朝文学の「浜松中納言物語」を下敷きに、夢と転生を基調にした4部作の小説「豊饒の海」第1巻。その題名は月の名から取られた。市川染五郎(現・松本幸四郎)、佐久間良子で劇化されたこともある。
~三島由紀夫文学館HPより引用

奔馬

奔馬―豊饒の海・第二巻 (新潮文庫)

*第二巻の『奔馬』は「ますらをぶり(益荒男ぶり)」あるいは「荒魂」を表している。

新潮社 1969年(昭和44)2月25日 初版
昭和初期の国家主義運動を描く「豊饒の海」第2巻。

昭和7年、判事になっていた本多は、奈良三輪山の三光の滝で飯沼勲に会う。勲は清顕の生まれ変わりであった。彼は昭和の神風連たらんとして財界首脳の暗殺などを企てるが、事前に発覚し検挙。釈放後、1人で財界の黒幕、蔵原武介を刺殺し、自らも切腹する。「春の雪」が「たおやめぶり」「和魂(にぎみたま)」の小説であるのに対し、「奔馬」は「ますらおぶり」「荒魂(あらみたま)」の小説である。作中に挿入された「神風連史話」は三島自身の手になる。
~三島由紀夫文学館HPより引用

暁の寺

暁の寺―豊饒の海・第三巻 (新潮文庫)

*第三巻の『暁の寺』は「エキゾチックな色彩的な心理小説」でいわば「奇魂」を表している。

新潮社 1970年(昭和45)7月10日 初版
エキゾチックな「奇魂(くしみたま)」の小説として書き起こされた「豊饒の海」第3巻。

47歳になった本多はタイを訪れ、自ら勲の生まれ変わりだと語る幼い月光姫(ジン・ジャン)に会う。だが、戦後、日本を訪れた月光姫は過去の記憶を失っていた。月光姫と慶子の同性愛行為を覗き見た本多は、月光姫が清顕、勲の生まれ変わりだと確信すると同時に、認識の世界から逃れられない自分に絶望する。本多が転生の裏付けとして作中で学ぶ仏教の唯識説に関する引用文の典拠はほぼ調査されているが、他にも検討すべき問題の多い作品。
~三島由紀夫文学館HPより引用

天人五衰

天人五衰―豊饒の海・第四巻 (新潮文庫)

*第四巻の『天人五衰』は「それの書かれるべき時点の事象をふんだんに取込んだ追跡小説」で「幸魂」へみちびかれるものを表している。

新潮社  1971年(昭和46)2月25日 初版
「豊饒の海」の最終巻。最終回の原稿は、三島の死の当日の朝、編集者に渡された。

76歳になる本多の前に、本多の自意識の雛形であるかのような少年・透が現れる。本多は透を養子に迎えるが、透は自殺に失敗し失明。彼は偽者の生まれ変わりだったのだ。本多は60年ぶりに月修寺を訪れ聡子と再会するが、聡子は清顕という人物のことを知らず、すべては本多の夢物語ではないかと語る。結末は当初の構想と大きく異なるが、三島は最後の本多の心境について、あるいは「幸魂(さきみたま)」に近づいているかもしれないとも述べた。
~三島由紀夫文学館HPより引用

*については、三島が述べているものを記載

小説ゆかりの神社に行くのも良いのかも知れない、と思った。
去年、大神神社率川神社に行った際、三島の描写そのままの神社だった事に驚いたりしたもんだ、と思い出す。そして、この本を読み直して、行かなければならない場所もある事を発見した。

スポンサーリンク
スポンサーリンク
スポンサーリンク

シェアする

フォローする

スポンサーリンク
スポンサーリンク
スポンサーリンク
Copy Protected by Chetan's WP-Copyprotect.