文殊菩薩様~建長寺塔頭 回春院にお伺いしました

半僧坊から総門方面へと戻ろうとする半僧坊参道の途中に、達磨大師坐像があり

この像の前に道があった。

そして控えめに「御朱印あります・回春院」的に書かれていた案内版があったので、こちらにもお寺があるのだと気付き、これも何かのご縁なのだろうと思いつつ、その道を歩いて行くことにした。

建長寺境内、そして半僧坊参道には多くの人が居たけれども、この道を歩く人は皆無と言って良い位誰も居なくって、本当にお寺があるのかしらん、なんて不届きなことを思ってしまった位だった。

そしてこの道で本当に良いのかしらん?と思いつつ歩いて行くと、回春院に到着した。

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回春院

石段を登る。

門を潜ると本当に誰も居ない。

そして目に飛び込んできたのは、大覚池という大きな池だった。

そして本堂前にお伺いして、こちらにお招きいただいたことに感謝してお参りさせていただく。

先ほどまでの、建長寺や半僧坊の喧噪とは打って変わって、誰も居ないが故にとても静寂な時が流れていた。

そして御朱印を頂戴したのだけれども、ご対応いただいたお寺の御婦人がとても良いカンジの方だったのが印象に残った。

その後、池の周りをちょっとだけ歩いてみる。

今回ほとんどこちらのお寺の存在を知らないままにお伺いしてしまったので、お祀りされているのが文殊菩薩様でいらっしゃるということにも、こちらに実際にお伺いして気付いた位だった。

しかしながら、こちらのお寺について調べてみると、回春院の山号が幽谷山と言われることにも納得してしまう訳でして。

建長寺の境内が広がる谷(鎌倉では「やつ」と読む)は、元は「地獄ヶ谷」と呼ばれる処刑場で、地蔵菩薩を本尊とする伽羅陀山心平寺という寺が建っていた。

建長寺の本尊が禅宗寺院の本尊として一般的な釈迦如来ではなく地蔵菩薩であるのは、こうした因縁によるものである。また、心平寺の旧本尊と伝える地蔵菩薩像は今も建長寺に伝来している。

Wikiより引用

そしてこの回春院がある辺りが「地獄ヶ谷」と呼ばれるところだった、ということらしい。

『古寺巡礼シリーズ 鎌倉三十三カ所 観音霊場めぐり』という冊子でも建長寺については

鎌倉時代のはじめに地獄谷と呼ばれた刑場があり、その供養のため地蔵堂があった。

建長五年(1253)北条時頼は、この地に四年の歳月を費して建長寺を建立し宋の蘭渓道隆を招いて開山した。そして鎌倉五山の第一位に列した。

~『古寺巡礼シリーズ 鎌倉三十三カ所 観音霊場めぐり』 より引用

と同じく地獄谷について書かれていた。

けれども、何故こちらに文殊菩薩様がお祀りされているのかと言う事は未だ分からず、、、

そして総門方面へ戻り

建長寺の御朱印をいただこうと思ったら長蛇の列で、御朱印帳を預けてもすぐには書き上がらないということだったので、再び法堂にお伺いする。

再び釈迦苦行像を目にしていると、後ろの方からカップルの会話が聞こえて来て「片岡鶴太郎みたいー」と爆笑していた。。。

何が面白いのか私には良く分からなかったけれども、観光地と化している神社仏閣ではお参りする全ての人々が信仰心に満ち溢れた人ではないという事を改めて認識してしまった訳でして

そして20分程して再び朱印所にお伺いすると、御朱印が書き上がっているということだったので、有難く受け取った。

本当は建長寺で販売されている「鎌倉建長寺 梵鐘サブレ」なるものも欲しかったのだけれども、サブレも朱印所窓口で販売されていることもあって、とてもサブレを下さい~なんて言う雰囲気では無い位、多くの人々が殺気立って御朱印に列を成していたので、サブレをいただくことは諦めて、建長寺を後にした。

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