かえる場所~二見興玉神社にお伺いしました

龍宮社を後にして歩いていると、夫婦岩が見えてきた。

今回晴天に恵まれて参拝できることに喜びを感じてしまったりして。

前日神宮会館に移動した際に利用したタクシーの運転手との会話の中で、タクシーの運転手さんは二見にお住まいだとお伺いした。そして先ほどの台風の際には二見も強い雨風に見舞われ、タクシーの運転手さんは家が吹き飛んでしまうのではないかと思ってしまったという位、激しいものだったとお伺いした。

避難されたんですか?と聞くと、心配してもしょうがないから寝ちゃったよ、となんとも大らかな答えだったけれども(笑)そのタクシーの運転手さんから二見はとても良いところだと聞いたことも、今回二見にお伺いした要因の一つだった。

こういう方に出会えたということも、お導きなのだろうと思う。

そして日の神皇居遥拝所に差し掛かる。

日の神皇居遥拝所

再びこちらにお招き頂いたことに感謝してお参りさせていただく。

そして二見興玉神社に到着した。

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二見興玉神社

こちらにお招きいただいたことに感謝してお参りさせていただく。

御祭神は猿田彦大神様と宇迦御魂大神様ということだけれども、同じく猿田彦大神様をお祀りされている椿大神社とはやはりその雰囲気は違ったものに感じられた。

あちらは山でこちらは海と言う事も関係しているのだろう。

二見興玉神社と言えば「蛙」ということで、境内には様々な蛙さんがいらっしゃる。

そして天の岩屋に。

天の岩屋

こちらは天宇受売命がいらっしゃる。

今回久しぶりに二見にお伺いしてこちらでもお参りさせていただいだのだけれども、以前お参りさせていただいた時には感じることの出来なかった、こちらのお社の凄さというものにびっくりしてしまったと言うのが正直なところだった。

蛙は変える。

何かを変える。

それは現状を変える力でもあり、自分自身の本来の力を取り戻すために立ち返ることでもある。

二見にお伺いしてそんなことを感じている自分が居た。

そして二見興玉神社を後にする。

本来の参拝ルートとは逆になってしまったけれども、それはそれで良かったのかと。

そして二見浦表参道のバス停に向かって歩く。

途中に賓日館があるのだけれども、この日は休館日だった。。。

賓日館と言うのは

賓日館は明治20年、伊勢神宮に参拝する賓客の休憩・宿泊施設として、神宮の崇敬団体・神苑会によって建設されました。

明治天皇の母であられる英照皇太后のご宿泊に間に合うようにと、明治19年12月に着工、翌年2月19日に竣工。これほどの短期間で格調高い建物が完成したのは驚異といえましょう。その後、明治末期から大正初期にかけてと昭和初期の2回の大増改築を重ね、現在の状態となったのです。

明治24年7月29日から3週間余り、ご幼少時の大正天皇(明宮嘉仁親王)が避暑や療養、水泳訓練などを兼ねて滞在されたのをはじめ、歴代諸皇族、各界要人が数多く宿泊されました。

そして明治44年2月には隣接する二見館(三重県初の政府登録国際観光ホテル)に払い下げられ、二見館の別館として平成11年まで貴人の宿泊所とされてきました。

二見館の休業後、平成15年に二見町に寄贈。 賓日館では、建物だけでなく庭園も含めて、当時一流の建築家による品格のある洗練されたデザイン、選び抜かれた材料やそれに応える職人たちの技など、日本の伝統建築の粋を目の当たりにすることができます。

建築学的見地からだけでなく、明治から大正、昭和、平成へと二見町の近代史を語り伝える国指定重要文化財です。

賓日館HPより引用

というところ。

私は大正時代のロマンティックな雰囲気が好きなので、一回は見学してみたいなぁと思っている場所の一つだったりするけれども、今回も見学は叶わず、、、

二見浦表参道までは、昔ながらの街並みが感じられる建物が現存している。

時間があればぷらぷら散策しているだけでも楽しいところなのだろう。

赤福もあります。

二見という名前は、倭姫命様が天照大御神様の御鎮座の地を求めてこの地を訪れた際に、その美しさのあまり二度も振り返ったことから名付けられたと言われている。

その名前の由来からして「かえる」ということなんだなぁ、と一種言葉遊びのようなものを感じつつ、二見と言う土地は、本来の自分自身にかえる場所なんではないかと思ってしまった。

伊勢神宮にお伺いする前に二見に行って禊をするということ、それこそが生まれた頃の己の純粋さを取り戻す行為なのではないかと。

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