『禅僧が教える心がラクになる生き方』を読んだ

永平寺寂光苑27

ここ最近の週末と言えば、神社仏閣にお伺いすることなく、美容室に行ったり、部屋のインテリアを一新してみたりと、身の回りのメンテナンスに時間を割いている。土用と言う期間も影響しているのだろうけれども、次のステップに移るために自身の環境を整えることが必要なのだろうと思いつつ。

そして今日は美容室帰りに新宿の紀伊国屋書店に行ってみたら、仏教関連の本の陳列されているコーナーで『禅僧が教える 心がラクになる生き方』というタイトルの本を見かけた。

椿の描かれている綺麗めな表紙と相まって、売れ線狙いの陳腐なタイトルだなぁと思ったけれども、けれども密かに尊敬している南直哉さんの著書ということで、同じく先日発売された『「悟り」は開けない (ベスト新書)』と合わせて購入して、家に戻って読んでみた。

読後の感想と言えば、やはりタイトルに偽りありと言う感想だった(笑)

南直哉さんのブログを見てみたら、やはり

前回記事で紹介した本とは大違いで、私を直接知っている人、拙著を読んだことのある人、話を聞いたことがある人は、まず全員が、この本のタイトルと装丁は著者が決めたものではないと思うでしょう。その通りです(私がストレートに「ラク」系統の話をするはずがない)。すべて出版社が決めました。

~「恐山あれこれ日記」より引用

ということだったので、この本のタイトルはご本人の意向ではないという事。

そもそも心がラクになる生き方って言うのはあるのかなぁと思いながら読んでいたけれども、この部分を読んでいたら、ラクな生き方というのはやはり語弊があるような気がして仕方がなかった。

自分が何に困っていて、何が欲しいのか。

自分がどんな状況にいて、どう変えたいのか。

それを見極めるためには、置かれた状況を冷静に見て具体的に考えていく根気が必要です。

今、人生の問題を解決するとうたう本や情報は、あふれています。

しかし、人生は複雑なものです。人はそれぞれ環境も条件も違います。

考える手間を省いて、出来合いのノウハウをあてはめようとしても、うまくいくはずがありません。即効性を期待して、インスタントにやろうとすればするほど、失敗します。

残念ながら、何十年もかけて自分の中で育ってきた問題が、一発で解決することなどあり得ないのです。

~『禅僧が教える 心がラクになる生き方』より引用

南直哉さんの考えに触れる入門書としては良い本なのだろうとは思ったけれども、心が「ラク」になる方法を知りたいと思う人にとっては、果たしてどうなのだろうとは思ってしまった。。。

この本の中には、自分を客観的に見つめることの重要性が書かれている。

けれども、その作業こそ「ラク」とはかけ離れたものだ。

昔読んだ『「そうだ、村上さんに聞いてみよう」と世間の人々が村上春樹にとりあえずぶっつける282の大疑問に果たして村上さんはちゃんと答えられるのか? (Asahi original (66号))』と言う本の中で輪廻転生について信じるか?と読者から問われた村上春樹さんはこのように述べていた。

ニューエイジ方面に行くのはなかなか面白いことですが、カルトがらみにはくれぐれも注意してくださいね。能力の開発には時間がかかるし、努力も必要とされます。

それでも結局は自分でこつこつとやるしかないのです。

「こっちにくれば近道があるよ」という人がいたら、それはまず眉につばをつけて疑った方がいいです。

~『「そうだ、村上さんに聞いてみよう」と世間の人々が村上春樹にとりあえずぶっつける282の大疑問に果たして村上さんはちゃんと答えられるのか? (Asahi original (66号))』より引用

『禅僧が教える 心がラクになる生き方』は決して「この通りにすれば心がラクになれますよ」という本では無い。

多くの人に自身の言葉が届くようにということでこちらの出版社からのオファーを承諾したとブログには書かれていたけれども、多くの人に言葉を届ける為には、やはり人々の関心を引き寄せるようなお手軽なタイトルではないと無理なんだろうか。

ただ苦しんでいる人々の気付きになるヒントは至るところに隠されている。

けれども、ラクを求めている人にとっては少々酷なヒントなのではないかと思ったりもした。


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