本当に大切なこと~比叡山椿堂そして浄土院へ

浄土院へ向かう途中、前回お伺い出来なかった椿堂へと向かう。

椿堂

案内版には

昔、聖徳太子が比叡山に登られた時に使われた椿の杖を此の地にさして置かれたところ、その椿が芽を出して大きく育ったという因縁から、此のお堂が椿堂を名づけられました。

と書かれていた。

光永圓道大阿闍梨様の御本『千日回峰行を生きる』の中にも、光永圓道大阿闍梨様がこちらの前を歩いている写真があり、どういうところかと気になっていた面もある。

西塔エリアの表立った場所からは目立たないところにあるが故、こちらにお参りする人の姿は無かった。

こちらにお招きいただいたことに感謝してお参りさせていただく。

今回の比叡山でのお参りは供華用の箱を多く目にした。

回峰行は三月下旬から始まりますが、最初から花が咲いているわけではない。途中から花が咲くようになりますから、そこから花をお供えする供華が加わります。

今は花の代わりに樒(しきみ)の葉を使ってお供えしますが、いろんな花が咲きほこる時期が回峰行を行じる期間でもあるのです。

~『千日回峰行を生きる』より引用

実際供華の箱の中には、樒の葉が何枚かあり、行者さんの足跡を感じることが出来た。

前日お伺いした明王堂でも、大阿闍梨様とお話させていただいている間に、何人もの新行者さんが入れ替わり立ち代わり大阿闍梨様にご挨拶にみえる場面に遭遇した。そしてそれは、本当にこの比叡山というところは祈りに満ちている土地だということを、自身の目で確認出来た経験でもあった。

そして椿堂を後にする。

西塔エリアから浄土院までは思いのほか距離があるので、途中まで歩いて引き返す人の姿も多く目にする場所でもある。

なので、今回も御多分に漏れず引き返す人の姿が目立ち、途中からは一人で歩いているような格好になってしまった。

そして浄土院に辿り着く。


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浄土院

中にお邪魔して、再びこちらにお招きいただいたことに感謝してお参りさせていただいた。

こちらは本当に清浄感に満ちている場所だ。

それもそのはずで、浄土院は「掃除地獄」と言われるように、落ち葉一枚たりとも落ちていることは許されず、そして草一本も生えないように徹底した掃除が行われている所だと言う。そしてこちらの浄土院の侍真さんは、十二年籠山行と言って、十二年の間、御廟にお仕えして浄土院から一歩も出ることは無いということ。

人の居る気配はしなかった。

けれども、人の手の気配はきちんと感じることが出来た。

それは坐禅にも似たような感覚を覚える。

坐禅を行う僧侶にしても、高僧と言われる人は、坐禅をしていても人の気配がしないと言う。

それは自然のすばらしさと同じ事なのかも知れない。

自然は誰に誇ることもなく、誰に褒められることなく、ただ己のやるべきことだけやり、そしてただひたすらに己の使命を全うするということ。

それこそが、人間として生きていく上で、本当に大切なことなのではないかと。

そんなことを浄土院にお参りさせていただき、感じている自分が居た。

そして東塔エリアへ歩いて行った。

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