金剛三昧院に行ってきた

宿坊を後にして、奥之院に向かう道すがら、金剛三昧院に立ち寄る。

これまで3回高野山にはお伺いしたけれども、ご縁が無くて金剛三昧院にお伺いするのは今回が初めてだった。

そして金剛三昧院に到着した。

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金剛三昧院

拝観料を支払い、境内にお邪魔する。

世界遺産ということで、多くの参拝客が居るのかと思いきや、朝の早い時間帯ということもあってか、さほど人の姿は見かけず。

まずは本坊にお邪魔する。

本坊

金剛三昧院というのは、

建暦元年(1211年)、北条政子の発願により源頼朝菩提のために禅定院として創建された。開山供養には、栄西も招かれている。

承久元年(1219年)、源実朝菩提のために禅定院を改築して金剛三昧院と改称し、以後将軍家の菩提寺として信仰された。

貞応2年(1223年)、北条政子が禅定如実として入道し、建立奉行を葛山景倫(願性)・安達景盛が務め、源頼朝と源実朝の菩提を弔うための多宝塔(国宝)を建立した。鎌倉幕府と高野山を結ぶ寺院であったため、高野山の中心的寺院の役割を担った。後に和歌山由良の興国寺を建立する心地覚心も、この寺院で行勇に学んだ。

その後、境内には勧学院が建てられ、高野版の摺本を用いた南山教学の中心地として栄えた。ただし、初代住持が退耕行勇であったことでも分かるように、当初は金剛峯寺とは別個の禅宗寺院として創建され、後に実融によって再興されて以後は律宗も兼学するようになった。金剛峯寺の院家として扱われるのは、江戸時代初期頃と考えられている。

Wikiより引用

というところで、今回私が訪れた際には特別拝観が実施されていた。

特別拝観では重要文化財の襖絵がある大広間を見ることが出来、そして上段の間というところでは源頼朝、北条政子、足利尊氏、足利直義、計4名の位牌が展示されていた。

そして本堂へと歩みを進める。

本堂

本尊の愛染明王は源頼朝の等身大の念持仏で伝運慶作だということ。こちらにお招きいただいたことに感謝してお参りさせていただいた。

経蔵

今回、こちらにお伺いして、すごいと思ったのは六本杉だった。

六本杉

別名を毘張杉と言い、樹齢500年で、健康・愛情・学業・金運・仕事・賭事と一本ずつ違う力を備えている木だということ、らしい。そして願いと木の力が合えば、成就するということだったけれども

そういう開運とか抜きにしても、ただこちらの前に佇んでいるだけで、気持ちが良かった。

そして多宝塔にお伺いして

こちらにお招きいただいたことに感謝してお参りさせていただく。

境内を散策させていただいた後に御朱印を頂戴して、金剛三昧院を後にした。

そして奥之院に向かって歩いていたら、小さなお社が目に入った。

日吉丸大明神

って、日吉丸って豊臣秀吉の幼名じゃん、と思いつつ、ご挨拶だけさせていただいた。

高野山は本当に足を使って歩いてみないと見つけられないものが多いなぁと思いつつ、奥之院に歩みを進めた。

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