たおやかなチェロの響きのようなひととき~高野山霊宝館にお伺いしました

高野山にお伺いしたのならば、是非とも訪れたいのは霊宝館。

大正10年に建てられたというその建物は、宇治平等院を模したもので、山内には数少ない大正建築としても貴重な存在だと言われている。

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霊宝館

入口付近でさえ、一枚の絵のような美しさが、そこにはある。

そして入館料を支払い、館内を見学。

こちらには数々の仏像があり、見学する人もさほど多くないこともあって、じっくりと仏様と向かいあうことが出来る。

今回春期企画展として「霊場高野山 納骨信仰の世界」というものが催されていた。その中で展示されていた「高野山蓮華曼荼羅図」というものを見たら、高野山と言う土地が世俗という泥から浮き出た蓮の花のような土地だということを、目の当たりに感じることが出来た。

そして、じっくりと時間をかけて、館内を鑑賞する。

以前霊宝館にお伺いした際に購入した書籍『顕教の仏たち』という本にはこういった記述があった。

弘法大師空海が私達に教示した密教思想観は、釈尊の説いた仏教の発展とともに生まれ、教義思想や信仰の主尊であった宇宙の真理を体得した人と解される歴史的存在としての釈迦如来をはじめ、大乗仏教において出現した阿弥陀如来や薬師如来などの仏(如来)や、観音・弥勒・文殊・普賢など無数に説かれた菩薩たち、ヒンドゥー教の神々に多くの源を発し、如来の命令(教令)を奉じて真言の法を宣布し難化の煩悩をも摧破し教導するとされる密教思想から生まれた明王尊、そのほとんどがバラモン教の神々であった自然神や自然現象を神格化された天部の諸尊をはじめ、この世に存在するすべての現象や存在は、宇宙の仏性大日如来の本質が現れた姿であるとの密教の教えを開示されたのである。

したがって、わが国に仏教が伝来して以来信仰されてきた多くの諸尊は、いずれも絶対的宇宙仏の大日如来がそれぞれの目的に応じて変身して現れた姿であると密教では解釈されるのである。この密教観は、日本で信仰されていた数多くの神々とともに徐々に融合されることになり神仏習合思想へと発展することになっていった。

宗祖弘法大師によって真言密教の修行道場として開創され、長い歴史を有する密教の山高野山にあって、さまざまな信仰にもとづく顕教の仏たちを受け入れ、地主神の丹生・高野明神をはじめ多くの神々がお祀りされてきた背景には、大きな密教の宇宙観にもとづく密教思想が認識されていたからかもしれない。

密教思想の伝統を保持している高野山の寺院にあって、密教尊像はもちろんであるが、現世の苦や無常観にさいなまれる人々のさまざまな願いを救済するために顕教の諸尊がお祀りされている。

~『顕教の仏たち』より引用

この世界観を身近に体感できるところが、霊宝館だと言ったら言い過ぎなのだろうか。

こちらで過ごすひとときは、私にとっては、チェロの調べに身を委ねているような、たおやかで優雅な時間だったりする。

今回もこちらにお伺いさせていただけたことで、心豊かな時間を持てたことに感謝して、次の所へと向かった。

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