理屈じゃないのよ御縁は~無動寺弁天堂

ケーブルカーを降り、琵琶湖の写真を収めた後に向かったのは、無動寺参道方面。

ケーブルカーの乗客のほとんどは、そのまま根本中堂方面へと向かうけれども、無動寺方面に向かう人の姿は皆無に等しい。

狛犬さんたちにもご挨拶させていただいて

そのまま参道を下って行くような格好で歩いて行く。

私は本当にこの参道を歩くのが大好きだったりする。

誰も居ない中、小鳥のさえずりや木々が風に揺られている音など、都会では普段耳に出来ない素敵な音の調べに乗って一人歩いていると、それだけで幸福感に包まれているような気分になる。

極楽というところは、こういうところなのではないか、なんて思いながら(笑)

そして、これはこの地が、祈りに包まれている土地だからだとも言える。

人々の祈りの力で、ここまで清らかなものが保たれているのではないだろうか?

まずは明王堂にお伺いすることにした。

明王堂から眺める琵琶湖の美しさは筆舌に尽くしがたい。

そして明王堂に到着した。

無動寺明王堂

靴を脱いでお堂の中にお邪魔して、不動明王様に再びお招きいただいたことに感謝してお参りさせていただく。

さすがに午後3時近い時間帯だったせいもあり、参拝客は私一人きりだった。

そしてお守り等授与所で御朱印をいただき、お堂を後にする。

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そして弁天堂を目指す。

弁天堂に向かう道でも誰にも会わなかったことを考えると、良い時間帯に来られたのかも知れないなんて思ってしまう自分が居たりして。

私はやはりまだまだ修行が足りないので、おしゃべりばかりしている観光客にまみれながらの参拝と言うのは集中出来なくて苦手だったりする。

無動寺弁天堂

本当にこの時間を与えてくださったことに感謝しながら、鳥居を潜った。

そしてお瀧の方へと向かう。

こちらにお招きいただいたことに感謝してお参りさせていただく。

弁天堂は脳天大神様ととても良く似た雰囲気を感じてしまう場所であり、それが故に私はとても好きなところだったりする。

本当の霊地。

そしてお堂の方にもお邪魔させていただいて

こちらにお招きいただいたことに感謝してお参りさせていただいた。

再びお参り出来たことは嬉しかったけれども、一方では、先ほどの不思議な出来事について思いあぐねている自分が居た事も確かだった。

そして御朱印を頂戴したいなと思って、寺務所の方に目を向けると、信者さんと思わしき方とお坊さんが話している様子が伺えた。

お邪魔しちゃ悪いかな、とも思ったけれども、前回弁天堂にお伺いした際には御朱印を頂戴出来なかったことを心の片隅で悔やんでいたので(←私は好きな神社仏閣では何度でも御朱印はいただきたいタイプ)勇気を振り絞って、寺務所の扉を開けた。

するとお坊さんはとても明るく「御朱印ですか?」と尋ねて下さった。

私があまりにも思いつめた顔をしていたのだろう。お坊さんはとても面白い冗談を飛ばしつつ私を笑顔にさせて下さり、そして「お寺は楽しいところでしょ?」とおっしゃってくださった。

私の頭の中では、今までお伺いしたお寺について走馬燈のように記憶が蘇ってきたけれども、それより何より、先ほどの不思議な体験が余りにも印象に残っていたので、「楽しいところと言うよりは不思議なところです」と、先ほどの律院での出来事について語ってしまった。

何の意図もなく、導かれるようにお伺いしたお寺が大阿闍梨様がいらっしゃるお寺さんだったという事、そして何の縁もゆかりもない、一介の参拝客だった私に大阿闍梨様の方からお声掛けいただいたという、とても不思議な体験。

すると寺務所にいらっしゃった信者さんより、立ち聞きのような格好で話を聞いてしまったことを詫びる言葉と同時に、とても御縁がありますね、と言われた。

その御朱印を書いているお坊さん、律院の大阿闍梨様のお弟子さんなんですよ、と言われた時の驚きと言ったら。。。

思わずえええーーーと声を挙げて叫んでいる自分が居た。。。

そのお坊さんは楽し気に「理屈じゃないのよ御縁は~ハハー」と「飾りじゃないのよ涙は」のフレーズに載せて歌っていた。

そして御縁についていろいろお教えいただくことが出来、本当に一介の参拝客である私にここまで時間を割いていただけたことに感謝しつつ、お礼を述べて寺務所を後にした。

御縁。

これほどまでに御縁という言葉について考えたことは無かった。

私は前世ということについてあまり真剣に考えたことは無かったけれども(←昔どうでも良いヒーラーに間違った前世とやらを言われたこともあり、前世なんて考えなくても現世を生きることだけに集中するのが今を生きていることだ、と思ってしまったこともある)

ここまでの御縁というものを考えると、私の前世というのは、比叡山に関係しているのだろうか?などと思ってしまう自分が居たり、そもそも5年前に初めて伊勢神宮にお伺いしたことがきっかけとは言え、何故これほどまでに神社仏閣に通う自分が居るのかと言えば、本当に理屈では説明できないものもある。

これまた誰も居ないことを良い事に、ケーブル延暦寺駅まで続く参道でワンワン泣きながら歩いていた。

傍から見れば危ない人だと自覚しながらも(笑)旅は始まったばかりだというのに、これらの怒涛の展開に神仏のお導きを感じざるを得ない自分が居た。

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