三度目の正直~伊豆山神社に行ってきた

2月に箱根神社にお伺いして以来、箱根神社について調べていたら源頼朝が行っていたという三社詣と言うものを知った。それは源頼朝が三社詣と称して箱根神社・伊豆山神社・三島神社の三社を巡り必勝祈願をしていたというもの。

それ以来、是非とも伊豆山神社と三嶋大社にお伺いしたいと思っていたので、実は3月の三連休に泊りがけで行こうと熱海のホテルを予約していたのだけども、三連休数日前になり、なんとなく行きたくなくなって、宿をキャンセルしまった。

そして、翌週末に再びお伺いしようと前日にはリュックに御朱印帳やカメラなどの、いつもの参拝グッズを用意していた訳だけれども、これまた当日になって行きたくなくなってしまって参拝を断念している自分が居た。

まるで何者かが私を神社仏閣にお伺いしたいという気持ちを削ぐように祈念しているかのような、そんな雰囲気を感じていたのは事実なのだけれども、先週末に素敵なライブを見に行ったら、本来の自分の行うべきことをしなくてはならないという気持ちが湧いてきて、それこそ今出かけなくては!という気分になり、久しぶりに神社にお伺いすることが出来たのでした。

ライブに行くというのは現代の御霊振りと言う説はあながち間違っていないのかもしれない、なんて思いながら、熱海に辿り着いた。

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熱海駅からはバスに乗車。

勾配のキツイところを走るので、途中座席に座りながらも身体が激しく揺さぶられるような格好になってしまった程だった。

そして10分程度で伊豆山神社に到着した。

伊豆山神社

バス停を降りるとすぐ鳥居があり、その先には石段が見えた。

そして石段を登っていくと、途中に御鎮座されていたのが祖霊社。

祖霊社

そして再び次の鳥居を潜る。

するとまたもやお社が鎮座されていた。

役の小角社(足立権現社)

御祭神は役行者様。

お社にガラスがはめられていたので、中のお姿がガラスに反射して撮影出来なかったのだけれども、そこには役行者様のお姿があり、こちらにお招きいただいたことに感謝してお参りさせていただいた。

役行者様と言えば、修験道。

この伊豆という土地も修験道に関係している土地だということで、お伺いしたかったという側面もある。

役行者は、鬼神を使役できるほどの法力を持っていたという。左右に前鬼と後鬼を従えた図像が有名である。ある時、葛木山と金峯山の間に石橋を架けようと思い立ち、諸国の神々を動員してこれを実現しようとした。しかし、葛木山にいる神一言主は、自らの醜悪な姿を気にして夜間しか働かなかった。そこで役行者は一言主を神であるにも関わらず、折檻して責め立てた。すると、それに耐えかねた一言主は、天皇に役行者が謀叛を企んでいると讒訴したため、役行者は彼の母親を人質にした朝廷によって捕縛され、伊豆大島へと流刑になった。こうして、架橋は沙汰やみになったという。

役行者は、流刑先の伊豆大島から、毎晩海上を歩いて富士山へと登っていったとも言われている。富士山麓の御殿場市にある青龍寺は役行者の建立といわれている。

Wikiより引用

しかしながら、バス停から石段を登って伊豆山神社本殿へと向かっている最中にはそれほど修験という雰囲気は感じなかったというのが、個人的な感想だったりする。

そして、役の小角社の反対側には結明神社が御鎮座されていた。

結明神社

こちらは本宮近くにある結明神社本社までお伺い出来ない人々のために建立された神社なのだろう。

そして石段を登り切り、手水で清める。

手水舎

ここの手水の龍を見ることを密かに期待していたのだけれども、自分の中の龍センサーが全く発動しなかったのは、最近神社仏閣にお伺いすることを怠っていたからなのかしらん?と思ってしまった程でして。。。

そして狛犬さん達にもご挨拶させていただいて

近くにあった光り石というものを見たのだけれども、

これまた全く何も感じない自分が居て、いよいよ自分の神様センサーが壊れてしまったのかと思ってしまった。。。(←まぁ、後ほどお伺いした神社で、自分の神様センサーは壊れていないということを実感した訳ですが)

光り石の近くには電電社。

電電社

そして本殿へと向かった。

本殿

こちらにお招きいただいたことに感謝してお参りさせていただいたのだけれども、どことなく自分の中で消化不良というべきか、なんとなく腑に落ちない面があった。

言葉に変換させるのが難しいのだけれども。

そして社務所で御朱印を頂戴して、境内を散策する。

腰掛石

何となくモヤモヤとして気持ちのまま、辿り着いたのがこちらだった。

伊豆山神社 白山神社遥拝所

こちらでお招きいただいたことに感謝してお参りさせていただく。

今回日帰りで熱海&三島というプランだったので、伊豆山神社の本宮にはお伺いする予定ではなかった。けれども、このモヤモヤ感を払拭するには、やはり本宮に行かなくてはならないという気持ちになった。

そして呼ばれるがままに、本宮を目指している自分が居た。

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