祠・三峯神社

もうそのまま全てを放り投げて、帰ってしまおうかと思ったけれども、相変わらず気力体力共に自宅に帰る力は残っていなかった。

山奥に閉じ込められたような感覚。

都会に戻りたいという気持ち、そして今回三峯神社に来たことを後悔する気持ちに苛まれながら部屋の中で悶々としていた。

16時を過ぎた辺りだろうか。

何処からともなく呼ばれているような気がしたので、部屋を出て、呼ばれている方へ向かう。

隋神門を通り抜け

遥拝所へと向かう。

お仮屋にお伺いしなくては、という気持ちがあったのに、お仮屋とは真逆の方向へと歩いていることに不思議な感覚を覚えつつ

遥拝所で手を合わせ、そして呼ばれている方向へと歩いて行く。

この先に何があるのかは、全然わからなかった。

そして訳も分からないまま歩くと

そこには、鳥居と小さな祠があった。

こんな祠があったなんて、と驚愕する。

そしてこちらにお招きいただいたことに感謝してお参りさせていただくと、これまでの気持悪さや頭痛などが一挙に吹き飛んだ。

あぁ、ほとんど人の来ないこちらにいらっしゃったんですね、とお招きいただいたことにひたすら感謝するしかなかった。

こちらの前でしばし佇んでいると、体調の悪かった私を癒してくれるかのように、それは本当に狼のような気を感じられる、目に見えないものの存在が慰めてくれるかのように私の回りを取り囲んでくれていた。

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今回は、こちらに呼ばれたんだなと、お参りさせていただいた時にも思ったし、そして今でもそう思う。

物見遊山の人々ではない、本来お参りすべき信仰心のある人々をこの地に取り戻して欲しいというお言葉を頂戴したけれども、私にそんな力はないし、ましてや三峯神社が好きだった私でさえ、この現状に辟易としている部分が大きい。

神社自体もマスコミやタレントを使って、熱心にクレクレさんばかり集めているように感じているのは私だけではないと思う。

そりゃ僻地にある神社だから、派手な宣伝をしなくては人が集まらず金銭的にも困窮してしまい、神社自体も衰退していく可能性も無きにしも非ずだけれども、それにしても、商業主義が鼻に付くようになっては、本当にお参りするべき人がお参りしなくなって、神社自体の力もなくなってしまうのではないかと思ったりするのは、私だけなんだろうか。

人々の純粋な祈りの力だけが、神様を輝かせるものだから。。。

正直難しいなぁと思った。

去年だったら三峯神社は素晴らしいところです!と純粋に言えたのだけれども。。。

そして再び隋神門へと戻る。

もう16時を過ぎているということで、参拝客はまばらな状態だった。

人が少なくなるにつれ、神々は姿を現す。

けれども、今年は比叡山にご縁があったせいかも知れないけれども、比叡山全体を包んでいる祈りの力と三峯のそれを比べてしまうと、やはり、三峯のその聖地感に疑問を持たざるを得ない自分が居た。

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