穢れ・三峯神社

2015年12月に初めて三峯神社にお伺いして、その土地の清らかさと御神徳の凄まじさに感激して、1か月の間に3回も行き、年末には御眷属まで拝借してしまった。

そして2016年3月に再びお伺いした際には、ちょっと2015年12月にお伺いしたときと、感じが違うなぁ、と思ったこともあり、そのままずるずるとお伺い出来ない日々が続いていたけれども、2016年12月も半ばを過ぎた頃に三峯神社に再びお伺いする決心をして、先日行ってきたのでした。

私は運転免許を持っていないので、思い立ったらすぐ車で!ということが出来ないので、今回も公共交通機関を利用した訳だけれども、私が住んでいるところから、軽く見積もって3時間、乗り換え時間や待ち時間などを入れると4時間近くかかってしまう場所だったりする。

4時間あれば、東京から飛行機利用しても楽勝で京都に行けると考えると、とても辺鄙な場所にあると言って過言ではないと思う。

しかしながら、この辺鄙な場所(←失礼)は、現在とても多くの人々が訪れるところでもあったりする。

今回も西武池袋駅から特急レッドアローを利用して移動。

そして西武秩父駅に到着したのだけれども、ほぼ1年ぶりに訪れる西武秩父駅はただいま2017年春にオープンするという新施設の建設中だった。

三峯神社行きのバスの待ち時間にプラプラしていて楽しかった仲見世通りも、現在仮店舗状態。

そして三峯神社行きのバスに乗車した。

年末ということで、三峯神社に行く人なんて殆ど居ないんじゃないか?と思い、この日を選択した訳だったけれども、三連休の中日ということもあって、今まで私が三峯神社にお伺いした時よりも、座席に座れず立っていた乗客も居た程、乗車する人々は多かった。

私は今回で三峯神社にお伺いするのは5回目となる訳だけれども、初めて三峯神社に行くバスに乗っていて気分が悪くなった。朝ご飯もキチンと食べてきたし、これまで数多くの旅行でバスに乗車していたけれども、車酔いすることなんて一回も無かったのに、、、

次第に頭痛やゲップも出てきたので、これは自身の体調不良云々ではなくて、乗車している人から発せられるものなのだと薄々気付き始めた。

三峯神社はパワースポットと呼ばれている場所だ。

私もそれは素直に認めるし、この場所をパワースポットと呼ばずとして何処をパワースポットと言うのだろう?と思って2015年12月に訪れた際には、そのままの感動をブログの記事にした。

けれども、2016年3月にお伺いして、ちょっとした違和感を感じていた。

それは神様への感謝の祈りを捧げる人に対して、神様へ我欲を押し付ける人々の数の方が上回ってきてしまい、神様の力がすり減ってきてしまい、場が乱れて来ているのではないかと言うような感覚だったりする。

パワースポット効果を目指して、金運の無い人々や、不幸に嘆いている人々がその土地を目指して訪れることにより、聖地と言われる場所の気が荒れることがあり、パワースポットが逆のパワースポットに陥ってしまうこともあると言われている。

今回私が乗車していたバスには、そういった人々が多かったのだろうと思う。

金の亡者のような者のところには、邪霊ばかりが集まるのである。そういうところへ行けば、だいたい頭痛とか吐き気を催すものである。

~『神道の神秘―古神道の思想と行法』より引用

まぁ独り言と思ってくださいませ。

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西武秩父駅から三峯神社までは約1時間程バスに乗車しなくてはならないのだけれども、これまで三峯神社にお伺いした中でも、最も過酷なバスの旅だった。

いつもだったら、車窓から眺める風景を見て感慨に耽ったりしていたのだけれども、今回はそんな余裕もなく、どうか車中で吐きませんように、とか、何時になったら三峯神社に辿り着くのだろうと、そんなことばっかり思っていた。

そして、今回日帰りではなく宿泊することにしておいて良かったと改めて思ったりした。

日帰りで再び都内に戻る位の体力と気力は、この時点でもう無かった。

今思えば笑い話なのだけれども、バスに乗車している最中には本当にこのまま死んでしまうのではないかと思える位の気分の悪さと頭痛と吐き気に襲われていた。

バスは三峯神社に到着。

いつもならば、駐車場に降り立っただけで空気が違う!と感動していた場所だったけれども、今回は駐車場に降り立ってみても、一向に気分の悪さや吐き気、頭痛などが治まらなかった。

三峯神社の鳥居の前まで辿り着く。

お犬様にご挨拶させていただく。

けれども気分の悪さはそのままで、そしてとても違和感を感じていた。

今までお伺いしていた三峯神社とは明らかに空気感が違うということを。

こう言っては失礼なのかも知れないけれども、先月お伺いした高尾山の方の気の方がはるかに良いと感じるほどでして。。。

今年の3月に来た際にも薄々と場が乱れて来ているということを感じていたけれども、状況は更に酷くなっているように感じた。

隋神門前にも沢山の人。

今回も光でお迎えいただいた訳だけれども、素直に喜べない自分が居た。

いつもの狛狼さんも、どことなく、元気が無さそうに感じてしまったりして。。。

先月(2016年11月)の京都・奈良・大阪の旅がとても素晴らしい旅だったからかも知れないけれども、その土地の気の落差に激しく動揺している自分が居た。

同じように聖地と言われる土地でも、クレクレとご利益ばかり求める人間が多くなり、神様や仏様に純粋な祈りを捧げる人間の数が少なくなると、その土地の気に、これほどまでの差が出るのかと。

龍を見ても、ぜんぜんドキドキしない。

というか、龍が居ない。

そして今回三峯神社にお伺いして、この神社ダメな神社になっちゃったなぁという事に遭遇した。

拝殿で参拝させていただいた後に、興雲閣にチェックインした後、気分の悪さなどが治まらないまま、社務所に行って、御眷属の交換を申し込んだ。

申込用紙に御祈祷の内容について丸で囲む箇所があるので、その箇所にマークして、住所・氏名を記入して窓口の神職の人に手渡して御眷属を交換しに来た旨伝えた。

すると、その神職はとても高圧的に「御眷属を交換するだけでは、御祈祷は出来ない」と言い放った。いや、御眷属交換とセットで御祈祷を、と伝えると「セットにしたから安くなるってことはありませんよ」と冷たく言った。

私は一言も安くして欲しいなどとも言っていないし、御眷属交換とともに御祈祷を、と伝えただけなのに、、、と半ば悔しい思いをしながら初穂料を支払った。

そしてその神職は冷たく「順番になったら呼びますから」と言ったので、そうだ、翌朝の御祈祷だということを伝えてなかったと思い、宿泊しているので翌朝でお願いします、と伝えると、態度が急変して「ご宿泊のお客様でしたかー」と猫なで声に変わり「チェックインは済まされましたかぁ?」と愛想がすこぶる良くなった。

私は常日頃良い神社仏閣の判断と言うものは、そちらに奉仕されている方々の態度だと思ってきたこともあるし、昨年御祈祷を申し込んだ際にも三峯神社の方の態度に好感を持っていた位だ。

しかし、今まで100以上の神社仏閣でお伺いしていて、ご縁があって御祈祷などをさせていただいた経験から言うと、出雲大社と同じ位、最悪レベルの対応だった。

これが、今の三峯神社の姿なのだろうと。

この神職の対応に、今の三峯神社のありようが全て現れているのだろうと実感した。

気持ち悪さは治まらないまま、そして三峯神社の神職の対応に半ば憤慨しながら興雲閣の部屋に行く。

あれほど好きだった三峯神社の地に居ながら、ずっと比叡山に思いを馳せていた。

御祈祷などをしなくても、一介の参拝客である私に暖かく接して下さったお坊様のお姿が脳裏をよぎり、泣いている自分が居た。

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