夢の告、覚むるや名残なるらん、覚むるや名残なるらん~玄賓庵

檜原神社から山の辺の道を狭井神社方面に戻る。

途中滝場があったので、お参りさせていただく。

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そして、玄賓庵に辿り着く。

玄賓庵

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入り口のところに賽銭箱があるので、気持ちの拝観料を入れて中にお邪魔させていただいた。

すると前回お伺いした際には閉まっていたお堂が開いていた。

ご自由にお参りくださいと書かれていたので、靴を脱いでお堂に上る。そして賽銭箱に控えめな小さい文字で拝観料¥200と書かれていたので、拝観料を支払い、不動明王様にこちらにお招きいただいたことに感謝してお参りさせていただいた。

なんとなくお堂の写真を撮る事がはばかれたので、お堂の写真はナシです。

しかし、お堂に掲げられていたものを見て、こちらのお寺というものの本当の姿というものを知ることが出来たのでした。

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今回の旅は、不動明王様にお目にかかる機会が多かった。

不動明王様の旅にしよう!と思っていた訳でもなく、その時その時に思いつくままにお伺いしたお寺でお祀りされているのが不動明王様であり、必然的にそういう結果になっただけだった。比叡山で明王堂にお伺いして不動明王様にお参りさせていただき、そしてこちらでも意図せぬ形で不動明王様にお参りさせていただくことが出来たりと。

伏見稲荷大社にお伺いしたことだって、不動明王様と関係が無いとも言えない訳で

稲荷信仰は何と言っても白狐さんと巳さん(ヘビ)、それにお不動さんで、特に巳さんの龍神系は欠かせません。

商売は水物と言いますように、水の神様である龍神神は大切にされています。

霊能一代より引用

と、私が愛読している砂澤たまゑ先生の御本にも書かれていたりする。

よくよく考えてみると、今回持参したお寺用の御朱印帳は、宮島の大聖院の不動明王様が描かれたものだったりした。

偶然にしては偶然すぎるなぁ、と思っている自分が居たりして。。。

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そして境内を散策する。

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どことなく、吉野の脳天大神様や比叡山の弁天堂を想わせるような雰囲気が漂っていた。

前回玄賓庵にお伺いした際には、私もまだまだ神社仏閣巡りがヒヨッコだったせいもあり、こちらのお寺の凄さというものに気付いていなかった。

しかしながら、今回再びこちらにお伺いしてみて、こちらのお寺というもののすごさと言うものをありありと感じることが出来たというのは、自分の中の「何か」が成長したということなんだろうか?と思いながらこちらの雰囲気を堪能させていただいた。

そして、御朱印が受けられるということだったので、お寺の方にお願いして御朱印をいただいた。

お寺の方はとてもお優しい方で、こちらの玄賓庵について説明して下さった。

ちなみに玄賓庵と言うのは、

桓武・嵯峨天皇に厚い信任を得ながら、俗事を嫌い三輪山の麓に隠棲したという玄賓(げんぴん)僧都の庵と伝えられる。

世阿弥の作と伝える謡曲「三輪」の舞台として知られる。かつては山岳仏教の寺として三輪山の檜原谷にあったが、明治初年の神仏分離により現在地に移された。

Wikiより引用

というところであり、謡曲「三輪」について調べてみたら、三島由紀夫の祖母の項目に辿り着いた。

1938年(昭和13年)、公威は中等科2年の時、トミに連れられて初めて能を観た。初めて目にした能が『三輪』であった。

『三輪』は、世阿弥の作と伝えられる四番目物であり、三輪明神が顕現する。『奔馬』で本多繁邦と飯沼勲が邂逅する場所は、わが国最古の神社で、謡曲の『三輪』の舞台となった大神神社である。

『三輪』では、杉の木陰から声がして、玄賓僧都の前に女人の姿の三輪明神が現れる。三輪明神は、神も衆生を救う方便としてしばらく迷いの深い人の心を持つことがあるので、罪業を助けて欲しいと訴える。三輪の妻問いの神話を語り、天照大神の天の岩戸隠れを物語って、夜明けとともに消えてゆく。

謡曲『三輪』は、「夢の告、覚むるや名残なるらん、覚むるや名残なるらん」(現代訳:夢のお告げが、覚めてしまうのは、実に名残惜しい、まことに名残惜しいことだ)という美しい詞章で終わる。この詞章は、三島の遺作『豊饒の海』の大団円に通じる。

Wikiより引用

ここでも、三島由紀夫。

こちらのお寺の方は、その他にもいろいろとためになるお話をお聞かせ下さった。

今回の旅は、比叡山、伏見稲荷大社、談山神社、そしてこちらの玄賓庵といい、この後にお伺いした神社といい、行く先々で様々な方々から、いろいろと暖かいお言葉を頂戴したり、為になる話を直接お伺い出来るという稀有な機会を多く頂戴した。

そして、それは今までの神社仏閣の旅とは違った、人の暖かさに触れることが多い旅だった。

夢の告、覚むるや名残なるらん、覚むるや名残なるらん

この旅は、まさに夢の告の様な旅だった。

名残惜しい気持ちに苛まれながらも、玄賓庵を後にした。

また、再びこちらにお伺い出来るように願いながら。

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