君は増賀上人を知っているか~談山神社に行ってきた

京都からJRに乗車して奈良に移動。

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奈良駅でお決まりの日付パネルで写真を撮り(笑)

そのまま桜井駅へ向かう電車に乗り換えて、桜井駅に到着。

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前回(2016年6月)に奈良に行った時には、当初談山神社にお伺いしようと思っていた。

その頃、発売されたレキシさんのアルバムの中の 「KMTR645 feat. ネコカミノカマタリ」という曲が自分の中で超ツボにハマっていた。そして、この曲は大化の改新がテーマと言う事もあって、神社仏閣好きならば、大化の改新の発祥地である談山神社に是非とも行かなければ~というミーハーな気持ちが大きかった(笑)

ただ、談山神社にお伺いしようと思った当日に訪れた伊勢の徴古館でとても美しい神々を模したお人形を見ていたら、大神神社にお伺いしなくては!と直感が降りてきたので、その時は談山神社に行く事は諦めて、大神神社にお伺いした訳だけれども、それ以降も頭の片隅に、ずっと「談山神社」というキーワードがあった。

なので、今回関西方面に旅することを決めた時には、談山神社には必ず行こうと思っていた。

こういう、どうでも良いようなミーハーな理由でも、行きたいと思った神社仏閣には、やはり呼ばれていると言うことを知ることとなった参拝となった訳でして。。。

今回は桜井駅に近い宿を取っていたので、そちらで荷物を預けて、談山神社へ向かう。

もちろん運転免許を持っていない私は公共交通機関を利用する訳でして、今回も御多分に漏れず、バスを利用したのだけれども

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桜井駅から談山神社に向かうバスの本数は少なかった。

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次のバスまで小一時間程時間があったので、駅前近くのお店でランチを取った訳だけれども、まぁ、ブログに書くようなランチでは無かったので省略(爆)

そして、バスに乗り、談山神社へと向かった。

バスに揺られること30分程度で談山神社のバス停に到着。

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ここから徒歩5分程度のところに談山神社はある。

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テクテク歩いて行くと、参道前にはお店が連なり、いろいろ美味しそうなものがあったけれども、これらのお土産屋さんは参拝後にチェックしようと思いながら歩いて行った。

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そして談山神社に到着。

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談山神社

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まず手水で清めて

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入山入口受付で入山料を支払う。

今回宿泊した宿の人から、荷物を預けた際に「これからどちらに行かれるんですか?」と尋ねられたので、談山神社にお伺いする旨を伝えると、見せると割引になるというパンフレットを頂戴したので、それを見せたら、通常の入山料(¥600)が¥50引きの¥550となった。

そして入山。

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目の前には大きな鳥居があり、140段あると言われる石段が姿を見せた。

しかしながら、久遠寺の石段を登ったことがある身としては、こんな石段程度では驚かなくなっていた(笑)

スタスタ石段を登ると、そこに見えたのは拝殿だった。

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この近くにお守り等授与所があるので、そちらで御朱印帳を預けて、拝殿の中に入れるということだったので、靴を脱いでお邪魔する。

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そして御本殿前で、こちらにお招き頂いたことに感謝してお参りさせていただいた。

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拝殿内は写真撮影はOKだけれども、三脚使用はNGという案内が出ていたので、写真を撮らさせていただきながら拝殿内を散策しようとしたら、ボランティアガイドの方がいらっしゃり、説明をして下さるということだったので、多くの参拝客と一緒に説明に耳を傾ける。

お伺いした際に、神社と言いつつお寺さんの雰囲気がするなぁと思っていたけれども、藤原鎌足の子、定慧和尚が父親の墓所を多武峰に設け、十三重塔を建立したと言う話や、平安期に天台宗の寺院になったという話を聞く。

元々はお寺だったという話に納得したと同時に、元々は天台宗の寺院だったということを聞いて、昨日比叡山に行ったばかりだよ、と思った自分が居た。

何かの巡り合わせにしては偶然すぎるなぁと思いながら、説明に耳を傾けた。

ガイドの方の話を聞き終え、拝殿内を見て回る。

展示されている絵巻や、談山神社のお祀りに使われているものなどを見たりした。

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そして、一人の僧侶の像を発見する。

増賀上人坐像

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はて?こちらのお方は???と思い説明文を読む。

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そして談山神社の宮司様が書かれた説明文を読み、絶句している自分が居た。

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増賀余波ー西行から芭蕉へ

談山神社奥の院、多武峰念誦崛の墓に今も眠る増賀上人は、超俗脱塵の聖として知られる。-権利と虚栄を厭う反骨の僧侶としての増賀は、後世にさまざまの逸話を残した。…十歳で比叡山に登り、その真摯な求道僧としての姿勢は、師の良源(元三大師)からある期待を寄せられるようになった。だが、増賀には世を捨てて入った比叡山にも、権威と名利の影が色濃く映りだしているのが見えたのである。その結果として、増賀の行動は、奇矯だった。おのずから狂気を装い、比叡山から追放されるという道を選んだのである。

それは、出家者がさらに出家をとげるという、非情ともいえる厳しいこころざしであった。-その存在と行動とが隠遁詩人たちのあこがれの的となるも、増賀がすでに実証的な歴史上の人物として記録されるのではなく、詩歌の世界で描かれる人物として、伝説化されていたという事実にほかならない。

その人間存在を文学として描き出そうとしたのは、かの西行だった。ー西行の『撰集抄』の巻頭第一が、「増賀上人之事」から始まるのも、西行の文学意識の現れであろう。西行は厳しくはかない増賀の道をあえて行ったのである。

むかし、増賀上人といふ人いまそかりける。

という文章から書き起こし、「少年の頃より出家した増賀は、長じて道心深く、ある時比叡山根本中堂に千夜籠もって祈願したが、どうしても誠ということがわからなかった。思い立って伊勢神宮へ参拝して祈ると、夢に神が現れて名利を捨てよ!と告げる。そこで増賀は衣服をすべて乞食に与えて素裸になり、京へ乞食をしながら戻る。(意訳)」

西行の伊勢神宮で詠んだ有名な作品に、

何事のおはしますをば知らねどもかたじけなさの涙こぼるる(西行法師歌集)

という短歌があるが、これは言うまでもなく増賀のこころを西行が自身の感動に置き換えた作品であろう。ー『撰集抄』では、その増賀の奇行を紹介しながら、さらに、

ついに大和多武峰と云ふ所へさそらへ入りて、智朗禅師の庵のかたばかり残りけるにぞ、居をしめ給へりける。

と当時、多武峰への入山のことを記す。…

芭蕉は、紀行文『笈の小文』で「伊勢山田」と詞書きして、

何の木の花とはしらず匂ひかな

裸にはまだ衣更着の嵐かな

と、二句を連ねている。

「何の木の」句は、西行の「何事のおはしますをば」を俤にしての作品。「裸には」の句は、増賀が伊勢神宮の神託のままに衣服を与えて素裸になった故実を俤とする。芭蕉が旅の途中、伊勢に滞在していたのは実際に二月(更衣)であった。

さぞ、増賀上人も寒いであろうという俳諧文学の趣向である。『笈日記』には「西行のなみだをしたひ、増賀の信をかなしむ」と詞書きして右の二句を記している。

芭蕉は隠遁詩人として、増賀、西行の道を慕い、その道を行ったのである。-

(談山神社宮司しるす)

と書かれていた。

この説明文を読み、その場に思わずへたり込んでた。

何にも考えずに、ミーハーな気持ちでやってきた談山神社で、元三大師様のお名前を見るとも思っていなかったし、そして、西行や芭蕉にも影響を与えたという増賀上人様というお方の存在も知らなかった。

自身の勉強がまだまだ足りないことを自覚すると同時に、西行の伊勢神宮についての有名な作品

何事のおはしますをば知らねどもかたじけなさの涙こぼるる

についても、自分自身が抱いていた「見えぬものに感激して出来た作品」だというイメージが木っ端みじんに砕かれた。それは、そんなに甘っちょろいものではないということ。

そして元三大師様は、無知な私に増賀上人様の存在をお教え下さる為に、談山神社までお導き下さったのではないかと思ってしまった。

神様や仏様を信じて生きるということは、ある意味平々凡々に暮らす真っ当な生活と言うものを狂わせることもある。

そして、それが良いか悪いかと思うのは、誰が決める訳でもなく、その人の心次第なのではないかと、この坐像の前に佇ずみながら感じている自分が居た。

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