恵比寿西口の恵比寿神社

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恵比寿には恵比寿神社が二つある。

一つは恵比寿ガーデンプレイス内に鎮座されている、恵比寿神社。そして、もう一つが恵比寿西口に鎮座されているこの、恵比寿神社。

先日ランチで西口方面に行ったので、ちょっと立ち寄ってみたけれど、これがとても不思議な神社だった。

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鳥居を潜ってすぐのところに、御祭神の案内版があるのだけれども、恵比寿神社というので事代主神さまだけがお祀りされているのかとおもいきや、
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  • 国常立神
  • 豊雲野神
  • 角杙神
  • 意富斗能地神
  • 伊邪那岐命
  • 伊邪那美命

という神々がお祀りされていた。

由来の案内版を見ると、

恵比寿神社は文献によると、大昔の頃より天津神社と称して家内安全無病息災五穀豊穣の神々として広く住民に崇め祭られて参りました。

戦後区画整理により記念事業として現在地に社殿を新築致しこれを契機に商売繁盛縁結びの神、事代主命(エビス様)を合祀し社名を恵比寿神社に改めました。

と書かれていた。

すごい神様のラインナップだ!と、衝撃を受けつつ、とりあえず手水で清めて

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拝殿でこちらにお招きいただいたことに感謝してお参りさせていただく。

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するとやっぱり、今までお伺いした恵比寿さまがお祀りされている神社とは、全く異なる雰囲気を感じた。

いつも恵比寿さまがお祀りされている神社にお伺いしてお参りさせていただくと、とても陽気な雰囲気が漂い、目を瞑っていても明るさが感じられるのだけれども、こちらではほとんどそういったものは感じず、逆に鋭いものを感じてしまった(←それが悪いということを言いたい訳ではないので、あしからず~)

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小さな神社だけれども、平日のお昼時にも関わらず、お参りする人が途切れない神社だった。

地元の人々に愛されている神社、という印象を持ったけれども、やっぱり、恵比寿さまのエネルギーより他の神々の皆様のエネルギーの方が強い神社だと思って、この恵比寿神社について調べてみたら、「第六天神社」というキーワードが浮上してきた。

元々は神仏習合の時代に第六天魔王(他化自在天)を祀る神社として創建されたものであるが、明治の神仏分離の際、多くの第六天神社がその社名から神世七代における第六代のオモダル・アヤカシコネ(面足命・惶根命)に祭神を変更した。

『日本民俗学 No.127』によると、『新編武蔵国風土記稿』より三百二十余社、『新編相模国風土記稿』より百四十余社、『増訂・豆州志稿』より四十余社の「第六天神社」を確認できたとあるように江戸時代末までは関東を中心に多く存在したが、前述の神仏分離によって改称あるいは他の神社に合祀や相殿、末社となり、祠のようなものも数えれば現在でも三百余社あるものの、宗教法人格を持つような独立神社としては珍しい存在となっている。

なお、現在では東京都と千葉県の県境近辺に多く所在しており、神奈川県内において神社庁下の独立神社は二社に留まる。また、千葉県香取市の山倉大神は前述の神仏分離まで大六天王(第六天魔王と同一)を祀っており(現在では近距離に所在する真言宗山倉山観福寺に遷座)、大六天王社の総社とされていた。

一方、第六天神社が所在する分布にも大きな特徴があり、東日本において関東の旧武蔵国を中心に旧相模国、旧伊豆国などに存在するが、西日本では皆無となっている。これは神奈川県神社庁の 『かながわの神社ガイドブック』(1997年、かなしん出版)によると、戦国時代の覇者である織田信長が篤く信奉していたとされることから、天下統一の跡を継いだ豊臣秀吉が第六天の神威(しんい)を恐れ、拠点としていた西日本の第六天神社を尽く廃社したためという。

なお、信長が信奉し自ら「第六天魔王」と名乗っていたとされるのは、イエズス会宣教師ルイス・フロイスの書簡の中で紹介されている、武田信玄と信長が書状のやり取りをした際の話からきており、それによると「信玄がテンダイノザス・シャモン・シンゲン(天台座主沙門信玄)と署名したのに対して、信長は仏教に反対する悪魔の王、ドイロクテンノ・マオウ・ノブナガ(第六天魔王信長)と署名して返した」とされるが、実際に自ら名乗っていたという文献などは他に存在しない。

この他、祭神については前述の第六天魔王から神世七代第六代の神に変更されたケース以外に、東京都墨田区押上や葛飾区西亀有の高木神社(旧称:第六天社)のように高木の神(タカミムスビ:日本書紀では高皇産霊神、古事記では高御産巣日神)を祭神としている場合[7]や宮城県名取市の第六天神社のようにそもそも第六天魔王とは関係がなく天神を祀っている神社もある。

また、埼玉県飯能市の大六天神社では第六天魔王は天狗であるとされ、さいたま市岩槻区にある武蔵第六天神社でも御使役の天狗様や社殿に宿る大天狗・烏天狗など天狗と関連付けられている。

Wikiより引用

こちらにお伺いしたのは、数日前だけれども、ブログに書こうかどうか思いあぐねていたというのが正直なところだった。

けれども、やっぱり書かなくては、と思い書いてみた訳だけれども、多分一般受けはしないんだろうな(笑)

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