こんな素晴らしいお寺があったなんて・身延山久遠寺~身延山に行ってきた【その2】

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菩提梯を登り、息も絶え絶えで辿り着いたのは身延山久遠寺。

その清々しい空気に圧倒される。

水屋で清めて、諸堂を回ることにした。

水屋

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まずは本堂にお参りさせていただいたのだけれども、諸堂案内図を見ると、報恩閣という総受付のところから入るのが良いみたいだったので、靴を脱いで入ってみた。

報恩閣

身延山久遠寺46

すると12時から仏殿で昼勤(ちゅうごん)というお勤めが行われていることを知る。

仏殿に向かうとお坊さんからどうぞお入りくださいと案内を受けたので、私もそのまま昼勤に参列させていただく格好となった。

10名程度のお坊さんの読経に癒され、そしてご焼香をさせていただけた。予想だにしていなかった出来事に驚きつつも、誰でも参加できるという、こちらのお寺の懐の大きさを感じたりして。こういうお勤めに参加できるのって、御祈祷を申し込んだ人だけと言うところがほとんどだったりするので、、、

昼勤終了後、しばしこちらに佇んでいた。

人々の祈りというものを、ひしひしと感じながら。。。

私が座っていた前の席に、一人の老女が座っていた。その老女の傍らには、恐らくご主人と思われる方の写真があった。

その光景を見ただけで、私は涙が溢れてきてしまって、人を想う気持ちというのは永遠だということを改めて思い知った。

その人が、目の前から消えても、記憶と言うものは消えることがないということを仏様から教えられているような気がして。。。

身延山久遠寺28

そして堂内を歩く。

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今回お伺いしたタイミングが良かったのかも知れないけれども、堂内には殆ど人が居なかった。

こういう空間を一人で歩く事が出来るというのは、本当にとても贅沢なことで。

身延山久遠寺30

庭園も美しい。

身延山久遠寺31

ここしばらく、ずっと、思っていたことがあった。

結局この世の中というものは、正直者がバカをみるようになっているのかと。

真面目に仕事をしている人が損をして、要領の良い人が楽するようになっているのかと思えるような出来事が多かったせいかもしれない。

けれども、久遠寺に来て、いろいろな言葉に触れて、それは幻想だということを知る。

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一人、ほとんど人が居ない堂内を歩いていると、本当に癒されていることを感じることが出来た。

神様や仏様は、必要なときに、必要な場所に私を導いてくれるということを改めて思い知った。

そして本堂に戻り、そのまま宝物館へ。

宝物館

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観光地にはお約束の顔の部分がくりぬかれたものがあったりして(笑)

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そして入館料を支払い、中に入るとこれまた誰も居なくって貸し切り状態だった。

宝物館の中は写真撮影が禁止だったので、写真が撮れなかったけれども、そこには光明皇后様の像があった。

昔読んだ本の中に書かれていた

光明皇后というのは薬師如来に千人の人の背中を流させてもらうという願を立てたわけです。そして九百九十九人の背中を流し終わって、いよいよ千人目だというときに、ライ病の乞食のおじいさんがやってきて、背中を流してくれと言うのです。

皇后が仕方がなく背中を流すと皮がむけて膿が出てくる。すると今度は膿を吸ってくれと言うんです。「どうしよう、ここでやめてしまったら私の願はまっとうできない」と思って、本当に死んだ気になってその膿を吸ってやる。と、パーッと後光がさしてきて「光明、よくやった」と薬師如来が現れた。

そのおじいさんは薬師如来の変化の姿だったんです。光明皇后をお試しになったわけですね。

~『微笑みの首飾り』より引用

と言うエピソードが頭の中を駆け巡った。

光明皇后様の像をこちらで見るということにも、何か意味があるのだろうと思いつつ。。。

そして宝物館では写経も出来るということで、一人静かに写経をさせていただいた。

身延山久遠寺38

ここでも一人きりだったので、本当に贅沢な時間を過ごすことが出来た。

この地に居るだけで癒されている自分をありありと感じながら。。。

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そして、報恩閣に戻り、御朱印を頂戴しようと思ったけれども、今回持参した御朱印帳が神社用のものだったので、やっぱりお寺なんだからお寺の御朱印帳の方がいいかな?と思って御朱印帳も頂戴しようとしたら、御朱印帳は札所で販売されているということで、札所に行く為に一回報恩閣を出る。

そして札所で御朱印帳をいただき、報恩閣に戻り御朱印を頂戴した後、再び札所で久遠寺のお線香などを頂戴して、おみくじも引いてみた。

身延山久遠寺45

そして札所に置かれていた紙に目が入ったので、そちらも頂戴して、近くのベンチに座ってその紙を見ようとしたら、先ほど昼勤で気になっていた老女から声をかけられた。

ロープウェイの場所を聞かれたので、境内案内図を参考にあっちの方ですよ~と案内したのだけれども、今思えば、その老女が何故、ここに来たのかを聞けば良かったのだろうな、と思ったりした。

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老女の姿を見送り、その紙に書かれていた文面を見ると、今回こちらにお呼びいただいたという理由が分かったような気がした。

さぞ苦しいであろう さぞお困りであろう

死んだほうがましだと考える その心持ちもよくわかる

だが貴方よりも もっと苦労しながら 立ち上がった人がある

もっと困りながら切り抜けた人がいる 絶望してはならない

人生には必ず活路がある 人を呪うよりも自分の在り方を

反省することだ 人の幸福をうらやむよりも

自らを築くことに努めることだ。

そして神仏に仕えるつもりで 人々に奉仕すれば

人々を幸いにするとともに自らが幸いになる 善人は人から重んぜられ

正義は人から尊ばれる筈である

然し善人なればこそ悪人にきらわれ

正義ならばこそ不正の輩に却けられる

善人、必ずしも重んぜられず、正義必ずしも尊ばれない

だが悪人にして、栄えたためしなく

不正にして誉れを得たものはない

重んぜられずともよい 私は善人でありたい

尊ばれなくてもよい 私は正義であることを欲す

身延山 九十世 日勇上人

この紙に書かれたものを読み、半泣き状態になってしまった。

身延山久遠寺44

本当に美しいもの。

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それは、己の信念に従う姿なのではないかと。

誰に褒められなくても、私は、私の信念を貫き通すことを、この地で誓った。

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